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カテゴリ:スピリチュアル
オットが風邪を引いて寝込んでいるのですが、
「背中が痛いから、内蔵が悪いんじゃないか」と言い出し、 「その根拠は何か」と聞いたら、「前にもそういう事があった」と言いました。 確かに以前背中が痛くなった時は、そうだったかも知れませんが、 今回がそうとも限らないし、実は背中が痛いのと、内蔵が悪いのは 全然関係ないかも知れません。 そう考えるとね、過去のたった1回の経験が「恐れ」となり、 その「恐れ」が現実を作り出しているように思えてきました。 そうやって、「恐れ」から逃れ続けていると、現実はますます 制限され、窮屈になり、「つまらない人生」になってしまいます。 それは、自分自身にかける制限もそうなんですが、 他人に対する制限も同じです。 私は、以前お手伝いさんを雇っていたとき、彼女らの要求に答えてあげていたら、 要求はどんどんエスカレートし、とんでもないことになってしまい、 それではいけないと、引き締めたら、散々文句を言われ、大変な思いをしたので、 新しく雇ったお手伝いさんには、最初からとても厳しく接した事がありました。 住み込みだったので、外泊は禁止、休日の門限は午後9時としました。 (それまでのお手伝いさんは、休日前の外泊はOKだったので、 夕飯の片付けが終わった午後8時には外出してしまうため、 私達が子供を置いて出かける事ができなくなってしまったり、 休日の日に午前様で帰って来られるのが嫌だったのです。) それでも3ヶ月に1回くらい、特別な場合に外泊を許していたのですが、 外泊から帰って来る度に酷い風邪を引いて、その後1週間くらい 咳き込んでいる事が続きました。 それで、外泊すると風邪を引くからと、外泊を全面禁止にしました。 でもね、その後、私の中で許しが進んで、彼女が自分の仕事さえ キチンとこなしてくれたら、彼女の喜びを奪う権利は私にはない、 と思え、私達の予定に差し支えない限り、休日前の外泊はOK、 休日の門限は午後10時としました。(犬が吠えて迷惑なので) そしたらね、彼女は外泊しても風邪を引かなくなったんです。 もしかしたらね、私の「外泊したら風邪を引いて帰って来るんじゃないか」 という「恐れ」が現実を作り出していたのかも知れません。 過去に起こった嫌な出来事の原因というのは、色々な要素が絡み合っているのに、 それを、「◯◯のせいだ」と1つに限定してしまい、未来の行動を制限してしまうのは、 実は、人生の喜びを自ら奪っているような気がします。 人混みで貧血で倒れたため、人混みに入るとまた倒れるのではないか、 という恐怖から心身症になってしまった人がいました。 彼は、出来事に勝手に意味付けし、恐怖を避ける行動が、 コンサート会場に近づけないという、喜びを楽しめない状況を 作り出してしまったのです。 逆に、蟹アレルギーを克服するために、蟹を食べると呼吸困難を起こすので、 先に救急車を呼んで置き、サイレンの音が聞こえたら蟹を食べるという 事を繰り返し、最後には蟹を食べれるようになった人に会った事があります。 彼女の場合は、恐怖に立ち向かい、克服し、食べる喜びを 取り戻した例と言えるかも知れません。 世の中には比較的、原因と結果の関係がハッキリしているものもありますが、 (食中毒や毒蛇に噛まれた等)それが、100%ではないので、 (同じものを食べても当たらない人や、毒蛇の毒を体内で解毒するヨギ等) そうと決めつけて喜びをそぎ落とす事はないと思います。 最終的には、恐怖をどう克服するか。 喜びはその先にしかない様な気がします。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
Oct 21, 2007 06:05:01 PM
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