10月10日 アニマル浜口さんと再会 in オリンピック・フェスティバル
朝5時半起きで、駒沢オリンピック公園へ。 体育の日のきょうは、オリンピック・フェスティバルがあって、そのスポーツボランティアをしたのだ。 あいにくの雨天(なんと5年連続だそうです。。。)で開会式は体育館で行われた。 セレモニーの進行を待っていたら、たまたますぐ横にアニマル浜口さんが立っていらしたので思い切って声をかけてみた。「あのー、私、京子さんがまだ16、17だったころにジムに伺って取材させていただいたことがあります。覚えていらっしゃらないと思いますが、あの節はどうもありがとうございました」 そしてその取材媒体を名乗ったら、浜口さんはなんとこうおっしゃった。 「あーあ、覚えてますよ。京子がまだ16歳のときでしたよね」 私「あのときはまだ女子レスリングが五輪種目になるなんて全然決まっていないころで、なのに京子さんは『オリンピックで金メダルを取るのが夢です』っておっしゃっていて、それ以来、ずっと応援していました。ですからアテネのメダルは本当にうれしかったです」 アニマルさん「本当にねえ……。あの取材のときはまだまだ世界チャンピオンになる前で、レスリングを始めたばかりのときでしたよね」 そう言ってアニマルさんは、さらに言葉を続け、京子さんが銀メダルを取ったつい先日の世界選手権の話を始めた。 「世界選手権ねえ、オリンピックのことがあったから、中国選手を警戒していたんですよ。あのときとは違う選手だったんだけど、中国選手に勝ってちょっとほっとしちゃったんでしょうねえ……。 そのあと準決勝のウクライナの選手にも勝って、決勝はアメリカの選手。この選手には6月の試合でフォール勝ちをしていたんですよ。『油断するな』ってもっと口を酸っぱくして言えばよかったんだけど、『うるさいなあ』って言われると思ってあんまり言わなかったんだよね。言えばよかった……。 今度からは言いますよ。『うるさい』って言われようが、もっともっと言うようにします!」 アニマルさんの口からは、京子さんを思う気持ちが次から次へとあふれ出てくる。 そう、あの10年前のときと同じように……。当の京子さんとは話す機会はなかったが、イベントを終えたあと、京子さんがラウンジで休んでいるところを見かけた。 そうしたら、あっという間にファンの方に見つかり、つかまって、即席サイン会&写真会会場と化していた。 京子さんはちっともイヤな顔することもなく、むしろ、写真撮影ではファンの緊張を和らげるようににこやかに、いろいろなポーズをとったりしてファンサービスに努めていて、そのファンを大切にする姿勢に感心した。 今でも京子さんは泣き虫のようだけれど、10年前もインタビュー中に涙を見せていた。 レスリングをやりたいと言った京子さんにレスリングの指導をしながらも、アニマルさんは「こんなつらくて大変な道、この子がどこまで本気かまだわからないけどね……」というようなことをぼそっとつぶやいたときだったと思う。 その言葉を聞いた途端に、京子さんの目から涙があふれた……。 これから迎えるであろう試練の道のつらさを思っての涙なのかと思ったら、「やるもん……、私、何があってもがんばるもん!」 自分の本気度を父親にまだ理解してもらえていないんだという悔しさからの涙だったのだ。 アニマルさんにしてみれば、京子さんの気持ちを試すための発言だったのかもしれないが……。 そんなことを思い出しながら、せっせとサインに励む京子さんの後ろ姿を眺めていた私だった。人気BLOGRANK人気blogランキングへ