事例研究
(仮定のケースです)★★★★★事例から学ぶ事 平成8年の『国民生活基礎調査』(「厚生白書」ぎょうせい1996 年)厚生省大臣官房統計情報部によれば、介護者は、子の配偶者(大半が嫁)34.2%配偶者27.0%子20.2%である。 このうち「寝たきりへの介護者の年令」50歳代28.1%、60歳代28.3%70歳以上24.22%。介護労働で1995 年の自殺者のうち、65歳以上が5500人いて、原因は病苦となっている。介護政策の強化で基本的人権である幸福追求権と労働権を守る福祉が定着するために福祉従事者はどのような技術が求められるだろうか。事例を検討しながら社会福祉活動で行われる支援の留意すべき点を考察してみたい。 冬田春子さんのケースを時系列で整理してみる。1989年ペースメーカー挿入のための入院時初めて徘徊や幻覚症状が出た。昼夜を問わず徘徊行動欲求がある。介護者は次男夫婦で主たる介護者は次男の妻である。介護疲れが顕著。次男は定年退職後再就職したが介護のため1993年夏に退職し在宅。1989年よりS病院に通院するが内科で薬処方のみ。援助の経過は以下の通りである。・民生委員より在宅介護支援センターへ連絡・市の担当ケースワーカー→保健所精神相談→市の健康課保健婦(ここでソーシャルワーカーは冬田さんの相談の件を伝え聞く)・ケア計画の作成・在宅介護支援センター,デイホームの参加、老人ホームへの入居申請、特別擁護老人ホーム、ショートステイの利用、ボランティアかヘルパーによる散歩の付き添いの検討を行う。・併設病院の受診、痴呆専門医の受診を勧める。(受診後、最終的には入院する)・訪問看護要請のため市の健康課、在宅福祉かケアの連絡紹介を行なう。 このケースから受けた私の印象は『悪意のないたらいまわし』である。相互の関係は紹介・依頼により市役所の相談業務はただの伝言となり連携が混同されているように感じた。各地方公共団体の特質や体制により、行政との協力体制には大きく隔たりがあり殆ど行政の中に組み込まれているかのような福祉・保健サービス体制もある。このケースでは協力体制が取られていないようである。その一番の弊害は高齢者及び家族が受ける事となり、適切な処遇を確保することは難しい。次男は在宅での介護を望む反面妻の体調も心配であるし、経済的不安もあるため再就職を希望している。福祉サービスを受けることは家族の救済そのものなのである。冬田さんが徒歩で通園できるほど近隣にホームがあったのならば、直接相談にいくことは念頭になかったのだろうか。施設で行われているサービスや職員の仕事の理解、入所者の理解が地域に届いていたらまた異なる展開もあったのではないだろうか。社会福祉施設 においては施設活動が地域住民に納得されており、運営態度が地域社会に向かって開かれていることが大切である。地域社会に開かれた施設は住民の理解につながる。施設が備えている機能や情報が、地域住民の生活に役立ち、地域社会の福祉を高める施策の企画や実施を広報することと共に、社会福祉機関、施設、援助者が身近になるための創意工夫が必要である。医療に関してはかかりつけとみられるS病院の主治医の「専門医への受診は必要ない」という診断がなされている。この主治医との関係性は文章からは読み取れないが、パターナリズムがあるとするとセカンドオピニオンをつけることは躊躇するに違いない。その後次男夫婦と看護婦立会いの下診療所の精神科を受診し精神薬が処方されている。診療所の精神科の医師の紹介状により痴呆性老人専門病院のH病院を家族と健康課の保健婦立会いで受診した際、重度の脳血管性痴呆との診断が出て家族が驚いたという。 今でこそ認知症の周知と医療の専門科の増設がみられるが、十数年前に認知症老人専門病院を受診することはそうそう一般的ではなかったと考える。 医療機関の姿勢や相互協力が支援を必要とする家族を翻弄してはならない。とくに年配者は医療従事者を立場の上の者とし絶対的な存在とする傾向にある。自分の意見や考えを伝え難いこともあるならば、看護婦や保健婦、ソーシャルワーカーに付き添ってもらうということも可能だと伝えていかなくてはならない。 家族や高齢者に対して、ノーマラーゼーション実現のためのサービスが定着するにはソーシャルネットワークの構築は重要である。医療・保健・福祉のケア・カンファレンスにおいて現場の声を直接聞いた中では、大抵は「ドクターが多忙で現実的に無理。」という声が最多であった。次に多いのは「関係者の日程調整」や「担当者責任」であった。症状や対処の方針が変更したケースはそれぞれの担当者が対応し、それ以外は文書上のやりとりで済ませる。というものである。被介護者あるいは要支援者の行き先が決まれば次に取り掛からなくてはならない。医療・福祉現場の人手不足は常であることは今更指摘するまでもない。介護保険体制下では、ケア・カンファレンスが義務付けられている。 2000年4月より開始された制介護保険制度は2006年に改正された。財政負担軽減を目指しサービス提供者の淘汰のための行政主体の改正ともいわれている。介護保険制度改正は、介護予防にかなりの力点が置かれたが介護予防そのものの実態を分かりにくくし、現場の混乱を助長している。だが、冬田さんの事例では2000年より以前の1993,4年時の福祉体制である。窓口の一本化や初期相談の導入の簡便さや気易さは必須であり、益々繁雑になる介護保険制度は認知理解の能力が衰退する高齢者にとって利用しにくくなる。 ソーシャルワーカーの所感に、「家族が今後本人をどのように介護していきたいかということが伝わってこなかった。」とある。「そういう支援センターの印象を家族に表明することは介護に苦しんでいる家族を精神的に追い込むようでできなかった。」しかし、そのような本音を素直に伝える事により家族も踏み込んだ話をして、よい意味の異なった展開をしていたかもしれないと振り返っている。 支援を求める人々に保健・医療・福祉等の社会福祉機関、施設のケアに結びつけるために状況とニーズを的確に把握することの難しさは一辺倒ではない。相談にくる家族の身体及び心理状態、背景にある家族関係、社会福祉に関する基本的情報の有無によってその訴えは希求する現状課題と情緒的葛藤は混在しニーズの把握は困難を極めることもある。介護に疲弊した状態で適切かつ冷静な判断を求める事そのものが可能か否か想像はたやすい。精神不調による症状にも配慮する必要もあろう。介護者による被介護者への暴力や殺害などが社会問題になっている。ソーシャルワーカーには、追い詰められた状況の介護者の気配を察するだけの観察力が必要不可欠に思う。 ソーシャルワーカーにとって相談に来る相手と接するのは一時であるが、相談者は毎日という連続の時間の中で被介護者と向かいあわざるを得ないことを推察する能力も求められる。カウンセリングの現場であれば、まず誰を休ませるのかを判断するように相談者の置かれた状況にソーシャルネットワークを反映させるのであれば、今必要とされている最優先は何かを問うだけの観察力や洞察力、判断力が必要である。 様々な分野に渡り、しかも多様なニーズに適切に対応するには福祉と保健・医療にわたる様々な面での連絡調整を図り、機能させることが重要であると言われているが実際に動かなければならないのは「福祉の人材」である。介護問題のみならず、経済問題や家事、ケースによっては家族調整にまで及ぶため、介在する福祉・医療関係者の人間性すなわち専門性と誠実さにつきるように考える。