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カテゴリ:アニメ・漫画・映画
今の描かれ方で展開していくと、たまたま運良く勝てたような武蔵になってしまいそうで、凄味が失せてきている。
描き手が迷っているのか? 発展途上の武蔵だからか? ここでも、結末が決まっていないか、経過次第で世情にシンクロしたり逆に乖離したりしながら読者が刺激を欲しているタイミングに奇異な武蔵を創出しようというところか? 幻想かもしれないけれど、堂々としていたころの日本人が、それは思いこみであったとしても堂々としていて、武蔵も堂々と天下一だったのだろう。 今の日本人はいかがか? そして、”日本人は”などと一括りで言い表そうとするような無理を言い放ってしまう私自身の浅はかさに、”日本人はどうのこうの”と評する他の国の人が私のように実際居るのか存在するのかと思えば、そのような浅はかさを残念に思う。 傷つき倒れたとき、彼をかくまって飯を食わせてくれた人たちがいなければ、堂々とした武蔵は存在しなかった。 それが作り話だとしても、飯がなければ、食いものがなければ天下一の剣豪も生きることは能わず。 要らないのだ。 天下一の剣豪など要らないのだ。 かれは、厳流小次郎との試合の後、だれとも立ち合わなくなる。 だれも斬ることなく晩年を過ごす。 それこそが武術の極意。 矛を止め、戦わずに平和に治めることが武人の極致。 果たして、「バガボンド」休み休みの連載の最終回は何年先に見ることができるのか? 昨日、本屋で久々に立ち読みして、まだ吉岡の次男坊との果たし合いかよ~(T_T)って感じで驚きました。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2006.08.26 01:07:12
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