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カテゴリ:日本語
教師と生徒あるいは学生との立場は、いつまでも変わらないか?
私は、高校2年生のときに 国語の女教師と言い争ってしまった。 それは、その教師が小説の読み方を決めつけて諭していたからだ。 「小説の読み方に決まり手なんかない!」というのがわたしの意見だった。 当然至極のことだが、その教師は私を小馬鹿にしたように授業の中で反論もしないで、それ以降卒業するまで私を無視していた。 好き嫌いはあるのだろうが、外見の良い教師ではあった。 生徒からの人気もあった。 私は、その教師の外見など関係なしに、授業の内容に不満を感じ続けた。 なぜか、それ以来だが、本の読み方に癖が付いた。 粗探しをする。 今は、どこぞの大学の先生におさまっているらしいが、何を宣っておられるのやら。 1人のひねくれ者を生み出すきっかけを作ったかもしれないと言われても、知らぬ存ぜぬでしょうが、未だにあの一件を私は忘れられないのですよ。 思い起こせば…などと敢えて勿体ぶらなくても、私に関わった先生、教諭、教師さまたちにははずれ者が多かったように評価したい。 小学校2年生のとき誤解でいきなり往復ビンタをくらわされた女教諭からは、先生に盲目的に従ってはいけないことを学んだ。 夏休みの間、黙々と続けたボランティア活動を全く別の生徒の行為として褒め称えた小学校4年の時の女教諭にも仲間と揃って呆れさせてもらった。 その別の生徒は教育委員会の親をもっていた。 もう、小学生のころから社会の腐臭を嗅がされてしまっったような気分だった。 もちろん黙っては居られないので、抗議したが公にできないようで、手紙で詫びてきた。 讃えて欲しくて行った活動ではなかったので、許してやったが、すでに どうしてこうもヘンテコな人物が先生になったのか呆れてしまった。 その一方で、良いかなって思った恩師たちは中学卒業の数年後に校内暴力で失明させられていたり、大学卒業後まもなく他界されていたりで、私にとっては嬉しくないことばかりだった。 制作した作品のほとんどを評価してくれた中学の美術の先生を信じることができた。 ほんのちょっとした、ヒントで自由に描いたり削ったり貼りあわせたりして、発想が広がった。 いつも完成が遅れ気味の私だったけれど、気長に待ってくれた。 音楽の先生も自信をつけさせてくれた。 テンポが大事だってことに気づかせてくれた。 自作曲が先生の演奏で全く違う感じになったのに驚かされた。 夕べのウオーキングはちょっと長めで、歩きながらいろんなことを想い出してしまった。 未だにMDをジーンズのポケットに入れながら、ハードロックやボサノバを聴きながらのウオーキングは、全然疲れを感じさせないで、歩き足りないままで帰ってくる。 もうすこし涼しくなれば、早めに歩き出すのだけれど、夜風が心地よい頃からの出発なので、あまり時間をかけられない。 秋になれば、もっと時間をかけて歩こう。 2006-09-06 02:18:10 2006-09-06 02:21:09 誤字修正 2006-09-06 05:38:16 リンク先修正 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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