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カテゴリ:エッセイ
真に立派な人物は、道の話を聞くと、「なるほど、その通りだ!」と言って、道に従って生きようとする。
まあまあな人物は、道の話を聞くと、「まあ、わかるような、わからないような」と言ってうやむやにする。 取るに足らない人物は、道の話を聞くと、「なんのこっちゃ!」と言って大笑いする。 しかし、道の話をして、笑われるようでなければ、道の説明としては不十分だ。 本当のことというのは、普通に聞けば滑稽なものだ。 だから、昔の人はこんなことを言っている。 自分が進むべき道は、暗くて曖昧に見える。 その道に進む者は、後ろ向きに歩いているようにも見える。 未開の地を歩いているようにも見える。 真の徳というものは、深い谷底で流れている川みたいなもんだ。 広い徳というのは、みんなにとって物足りないように見える。 そして、その徳を実感することがあっても、その場限りのことのように見える。 いつの時代も、真実は、最初、汚れて見えるもんだ。 ものごとの本質は、移り変わっていく。 その場限りの狭い了見では、真実を見失う。 あまりにも広くて四角い場所は、角が見えない。 あまりにも大きい器は、いつまでも完成しない。 あまりにも大きい音は、小さくしか聞こえない。 あまりにも大きい形のものは、目に見えない。 道も同じだ。 あまりにも大きいので、姿が見えず、名前のつけようがない。 しかし、道は全てのものに働き、ひたすら全てのことを成し遂げていく。 人間のごときちっぽけなものの認識とは関係なく、確かに存在している。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2024.08.22 18:21:48
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