テーマ:徒然なるままに(1486)
カテゴリ:三十路の考え事
結婚してはじめて、夫の親戚の方が亡くなりました。
その方はパートナーをすでに見送り、お子さんもいらっしゃらなかったので、 今回、兄弟の方が喪主をつとめていました。 「・・・そんな訳だから、本当に身内だけで集まるからそのつもりでね。 お香典も、遺されたお金もあるし要らないぐらいなのだけれど、一律○円って決めたから」 とお義母さんから連絡がありました。 私はお通夜に参加したのですが、誤解を招く言い方になってしまうかもしれませんが・・・ 心に残る、いい時間でした。 私はその方に一度もお会いしたことがなかったのですが、 飾ってある写真や場の雰囲気で、その方が兄弟に心から愛されていたことを感じました。 「兄弟としては、(生きている間に)やるだけのことはやったって感じなのよ」 と聞いていた通り、湿っぽくならずに、一同に集まることで 「遺された人々が気持ちを強くする」 時間になったのではないかと思います。 そして、(うまい表現が見つかりませんが)外の立場にいる私としては、 お香典にいくら包んだらいいのかとか、 「○○家の嫁」としてどういうことをしたらいいかとか、 そういう、「余計な気をつかわせない」集まりであったことが正直、とても助かりました。 私が死を迎えた時も、遺された人に 「誰に(亡くなった事を)伝えればいいか」や「○○(お料理とか)のランクはどうしよう」とか そういう気をつかわせたくないなー。 結局、大勢の人を集めようとすると 「世間の標準」 がからんだ余計な気をつかうんですよね、喪主側も声をかけられた側も。 と同時に、これからのお葬式って・・・? 喪主は、今までは何となく「配偶者・長男・長女」というイメージでしたが、 該当者がいない場合もかなり多くなりそう。 今回は「兄弟」でしたが、兄弟には頼めない人もいる・・・(私は兄には頼めない・・・) お葬式そのものの形も変わっていくかもしれないなあ、と帰り道思ったのでした。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2008.10.08 23:28:59
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