カテゴリ:歴史
「和の国チャンネル」
『田中英道が語る映画オッペン・ハイマー 原爆・核開発⑤』の続き。 おそらく北朝鮮・興南で日本が原爆を作ってることを、 アメリカは知らないわけではなかったと思う。 だからこそドイツよりも日本の原爆を恐れて、 「なぜ日本に原爆が落とされたのか?」 その問題に1つの大きな理由を求めることができると思う。 日本は朝鮮で具体的にこの原爆製造をやっていた。 1年早く日本の方が計画を立てていた。 日本本土で実現することは不可能だと感じて、 すでに野口コンツェルンが引き受ける。 これは日本陸軍が提起したと思うんですが、 これが大体1年か2年。 それがマンハッタン計画に競争する関係になっていった。 この計画を日本の理化学研究所や京大によって開発され、 日本政府が推進、あるいは東条英機が推進する… そのことを、アメリカは知っていた。 いずれにしても日本で実現されることは知っていたが、 北朝鮮で行われることは最初は知らなかったと思う。 ただそれが日本で進行してることは、アメリカは知っていただろう。 野口遵は、オッペンハイマーのような技術者ではないが、 帝国大学工学部電気工学科出身、技術士の資格を持っていた。 ですから単なる政商としてこれを推進するのでなく、 実際の科学者と言ってもよかった。 だからこの人は、やはり「日本の防衛」を考えていたと思う。 軍部や政治の東条がこういうことをやるのは当然ですが、 実業人が理科系の知識を持ってやるということは、 この人物の国家観あるいは日本を守るという 意欲・意思でもあったことになるわけです。 単なる政商として自分が金を儲けるだけでなく、 国家を守る意思があったとすると、 私は日本という国を国民として考える時に、 いつも長い伝統を考えるわけです。 日本といいうのは「平和を望む」…人々は大人しい。 ヨーロッパと比べると引っ込みがちで、ある種の謙虚さがあり、 あるいは臆病さといってもいいかもしれない。 そういうものがあるから、人を殺す武器を作ることに 積極的じゃないという感じはいつもあるわけです。 私なんかも、歴史をやってて、そう思うわけです。 しかし「いざとなると」…どういうことかというと、 があるわけですよ。 日韓併合したと言っても、朝鮮は日本ではないわけですが、 野口遵のような帝国大学を出て、 理科系の仕事で大陸に行くような人は、 やはり「日本を守る」ということを考える。 ですから北朝鮮のようなところで作るとということは、 プルトニウムやウラン、多くの水、電力を考え、 すでに彼は仕事をしていたわけですが、 電気会社も作っていく。 戦後は「水俣病」で宣伝されましたけど、 カーバイトを作っていたし、 日本鉱山、電力、水力を開発したりする。 このへんが巨大産業を作り、 そこで水力を使うという重要さを知っていた。 1926年に「朝鮮水電」を設立し、社長に就任してる。 彼の経歴を見ると「原爆を作る」ということを、 下からおさえてることが感じられる。 人物として単に科学者が、物理学的数理あるいは中性子や量子 といった物理学的考察で理論的にやるとか、 そこからいろんな技術を必要とするといったことだけでなく、 その背景となるプルトニウムやウランなどを採掘することにも、 強い能力や知識を持っていた。 ですからオッペンハイマーが国家でルーズベルトを作り出す、 国家事業でアメリカ国土全体にわたって分散して作る体制よりも、 一気に北朝鮮の興南周辺で、色んな企業を経営していた野口が そういうものをまとめて作る能力は、面白いなと感じる。 今まで気付かなかった 西洋的概念でしか歴史を見ることができなかった事に対し、 「日本はそうじゃなかった」という発想が (日本の)歴史に動いてるなということがわかるわけ。 これが日本の研究開発が世界に基本的に対抗して 相対して作ることができる能力なんだと思いますね。 私がいつも考えるのは、日本が積極性と 一方では非常に消極性というよりも、 「自然に動く」あるいは「決してケンカしない」という、 そういうこととうまく両立してるということが、 こういう人物が出てくることでわかるんですよね。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2024.10.20 18:41:30
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