テーマ:ココロ(1186)
カテゴリ:理屈っぽい時間・・・
人には、色んな一面がある。別の顔があるといった方が正しい。それとも、仮面を被っているというべきだろうか。 虫も殺さない善人の顔。 親切で優しい人の顔。 親切で優しい人の顔。 陽気なお人好しの顔。 良き夫の顔。 貞淑な妻の顔。 頼もしい父親の顔。 明るい母の顔。 働き者の顔。 正直者の顔。 笑顔で誰からも好かれる顔。 温厚で大人しい顔... みんな、自分自身では自分という人間をよく知ってる。 自分の心をちゃんと解ってる。 本当? 本当に知ってる? 自分でそう思ってるだけじゃないの? 自分自身で、本当の自分なのだと思ってる自分は、実は、そう思いたい自分であって、本当の自分ではないのかも知れない。 いつからか... 自分でも気づかないほど前から... 人にそんな風に見られたいとか、誰かにそういう風に見て欲しいという自分になってしまってないか。 自分の嫌な自分に蓋をしてたりして、自分の心に嘘ついたりして、痩せ我慢して背伸びしてないかな。 体面、面子、世間体、そして社会性... 確かに社会の中では、自分を抑えて我慢しなきゃならない事がある。でも、抑え過ぎてしまうと壊れてしまう。 ときどき、砂天狗自身も息苦しくなって気づくことがあるんだ。 仮面を脱ぐのを忘れてしまってる自分を。 本当の自分を見てしまうのが怖くて、自分の醜さを知るのが恐ろしくて、人は仮面を被り続けたくなる。 そしてまた、そんな風に思ってしまう自分を、実は一番醜いと思ってるんだよね。 人は、無垢なままでは生きられない。 キレイだけでは生きられない。 だから本当の自分の顔... 自分の心も見失わないでおこう。 自分の甘え、自分の醜さをときに許せるからこそ人間だ。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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