テーマ:"あすの日本を考える"(493)
カテゴリ:理屈っぽい時間・・・
休みの切れ目の金曜日には、仕事してかなり安心した。 ホっとしたよ。 猛烈に片付けてしまってたから閑だったけど、無理矢理仕事を作ったりして。(笑) 相変わらず、食欲はまったくないけど、元気だから良いとしよう♪ 大殺界を迎えた今、よく過去の事を振り返ったりしてる... 誰にも頼れなかった時、弁当一つが買えなかった時、よく一人で海や山へ出掛けたと... 嫉妬とか妬みは、ともすれば道徳的に『悪』とみなされるもの。けれども、他人に対する嫉妬や妬みの心は誰にでもある。 誰かと自分を比べることで、自分自身が打ちのめされたり劣等感にさいなまれたり恨みを抱いたりする。 これが嫉妬や妬みだよね。 しかしその一方で、嫉妬心は向上心の源泉ともなり得る。 例えば、世の中の進歩や国家の発展も、倒すべき敵やライバルがいてこそ向上し進歩するもの。 嫉妬や妬みは世の常。 だけど、そんな悪とみなされるものを糧にして這い上がる生き方だってある。 大切なことは、激情に駆られて憎む前に、相手と自分をしっかり比較することだ。 そうすれば、自分に足りなかったものや、自分が劣っていたことが見えてくる。 とにかく、徹底的に比較して自己分析することだ。 比較して整理できたら冷静にもなる。 そうすれば、ポジティブな考え方で工夫する気持ちを芽生えさせ、一転して優位に立つ努力もできるようになる。 キリスト教でも、嫉妬や妬みの心を戒めてはいるが、仏教はもう少し突っ込んで分析している。 嫉妬は忌むべきではあるものの、『我(が)』の中の怒りの一部として認知したうえで、自分の心と葛藤して『空』を用いることで脱却することを仏教では説いている。 つまり、向上心に昇華させるということ。 過ぎた妬みは自己破壊に繋がるけど、『我』=(自己中心的怒り)を『空』=(受容・学ぶ心)を生かすことで努力や向上心に変え、自分を磨くことができる。 要は何をするにも、他人から学んでポジティブに思考することは大事だということ。 振り返ると、砂の反骨の心はまさにこんなところからはじまった。 そうとしか生きられなかった自分があったからだ。 今でも、人を見下す政治家や金持ちは大嫌いだ。 だけど、散々不平を言うだけで、自分が何もかも正しいように振舞って、弱いことを正当化してるような奴はもっと嫌いだ。 そのままだと、鼻持ちならない金持ちと同じだからだ。 弱者は弱者のままでいちゃダメだ。 きっかけは何でもイイから新しい自分を見つけないと。 弱者は人を見下してるような強者より、もっと気高く強くもなれるんだから、そのままで終わっちゃいけない。 憎しみや悲しみは、糧にすれば結構なパワーになるんだ。 人生は一度きりだから貴重だ。 誰の命だって、誰の人生だって貴重なんだ。 踏みつけられても、寄り添って花を咲かせる野草は気高く強い。 雑草とバカにはできないんだよ。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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