カテゴリ:民話とあやかしの世界
ひょうすべよ 約束せしは忘るなよ 川立つをのこ(男) 跡はすがわら 昔々の夏の日の思い出話なんだけど... 幼い頃の砂は、故郷の日置川や紀ノ川の川原でよく水遊びをした。 そんなとき、病身の母に代わって砂の面倒をみてくれてた亡き叔母は、まるで呪文のような言葉を、川底に潜んでいる兵主部に向かってつぶやいてたんだ。 当時、4才だった砂の記憶に残るあやかしのお話。 そして、今もこの季節になると懐かしく思い出す、故郷での遠い夏の記憶だ... 菅原道真は、大宰府へ流される道中で一匹の河童を助けたそうだ。 河童は助けられたお礼に、未来永劫、道真一族には害をしないと約束したという。 そんな伝承に由来して、「兵主部よ、約束を忘れてはいないだろうな。 泳ぎの上手い男は菅原公の子孫であるぞ」という意味だったそうだ。 そもそも、兵主部(ひょうすべ)は、ひょうすえ、ひょうすぼ、ひょうずんぼ、ひょうすんべなどと地方によって呼び名が違うらしい。 兵主部は、佐賀では河童の仲間だといわれ「がわっぱ」、長崎では「があたろ」の別名とされているけど、各地に残る河童の話よりひょうすべは古くから伝わっているともいわれる。 その起源は、古代中国の水神、武神である兵主神だとされ、日本へは秦氏ら渡来人とともに伝わったとされる。 元々は、中国の水神や武神なのに、日本では何故か食料の神として信仰され、未だに滋賀や兵庫の丹波地方では兵主神社として祀られている。 たぶん、稲作=水という発想だったんだろうね。 日本の兵主部には、モデルも存在するみたいだ。 一説によると、春日神社の建立のときに、人手不足を補いたい棟梁が秘法で木人形に命を与えて労働力にした。 ところが、神社が完成すると不要になった人形は川に捨てられた。 使い捨てにされた人形は人を恨み、化けて次々と人に害を及ぼした。 そこで、工匠奉行の任にあった兵部大輔(ひょうぶたいふ)の島田麿(しまだまろ)が霊を鎮め、兵部大輔に由来して河童を兵主部と呼ぶようになったという話がある。 また、一説によると、嘉禎三年(1237)に、島田麿の子孫の橘公業(たちばなのきみなり)が、家来として仕えていた九十九匹の河童を連れて伊予国から肥前へ転勤したともいわれる。 さらに異説では、橘氏が肥前へ移った時の供の中に、兵主部(ひょうすべ)氏と名乗っていた家臣がいて、後に潮見川へ移住したのが起源だというのもある。 河童の好物が胡瓜だといわれることに対して、兵主部の好物は茄子だといわれ、収穫した茄子を槍に刺して兵主部に供える風習もあるようだ。 兵主部って、いったい何だ? 佐藤有文の「いちばんくわしい日本妖怪図鑑」には、人に出遭うとヒッヒッと笑い、もらい笑いした人は熱を出して死ぬとされている。 人に悪さして病気を蔓延させるという説もあり、兵主部を見た者は熱病で死んだり、気が狂ってしまうともいわれるし、九州では茄子畑で兵主部を目撃した女が、全身紫色になって死んだという... 江戸時代の絵師 鳥山石燕が描いた兵主部は、カラダが毛深くて頭はハゲてて、一見して酔っ払いオヤジみたいだ。 目撃すると死ぬから、どうせ"想像"で描いたんだろう。(爆) とにかく見たら死ぬか、気が狂うんだよな?(怖ぇ~!) だけど、砂には叔母が教えてくれた約束の呪文があるんだった♪ 呪文か?あれ?(笑) お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
[民話とあやかしの世界] カテゴリの最新記事
|
|