カテゴリ:砂的つぶやき
例えば、家賃や、光熱費や、水道代さえ払えないとか、今日食べるものもないとかって 切実な状況は別にして、人の価値や豊かさとか幸福の本質って何だろうと思うんだ。 神戸の震災、不良債権、水害、長い失業と、砂は、過去に何度か苦しい体験をした。 少なくとも、お金のない生活苦や職のない不安の中には、幸福感は微塵もなかった。(笑) 冗談ヌキで、自分の周りから人が引き潮のように引いてって、凄い孤独だったし、 社会から自分だけ隔絶されてるような、孤立感を味わった。 人の価値や幸せは"お金"じゃないとか、そんな風に人はいうけど、 それは、恵まれた連中の綺麗事。人のありきたりな慰めや励ましの言葉なんか、 当時の砂には絵空事でしかなかったよ。 貧窮して、どん底だった十年ぐらいは、明日支払うお金しか頭になかったし、 這いあがる労力は半端じゃなかったから。 だから、物知り顔で口出しする奴や、贅沢してる金持ちを横目に見て、妬みもしたし、 正直、腹の底から憎かったりもしたんだよ。 でも、改めて考えれば、金持ちだって自分の汗や努力の結果なんだし、 砂が妬んだり、憎んだり、ましてや批難されるような対象じゃないよね。(笑) 豪邸に住んでるとか、高級車に乗ってるとか、幾つも別荘を持ってるとか... 人がいうように、それだけが人の価値じゃないし、金持ちだから幸せだとは思わないよ。 だけど、人の価値や幸せは「物質的な質と量だけの問題ではない」といえる人は、 ただ単に、他にも測る"物差し"を持ってるからだろうさ。 幸福の概念は、本当に色々だ。手にした物差しが違えば、話は噛み合うハズもない。 他人に自分の苦労を量ることはできないし、自分も他人を量るのは簡単じゃない。 砂の今日のブログに、異議を唱える人もきっと多いだろうけど、本音をいうと、 健康でもないし、傍に寄り添う家族もなく、この先、大して蓄えもできない自分を、 幸せだとは思ってないし、快くも思ってないんだよね。 砂の暮らしは一歩ずつ戻りつつあるけど、砂が失った"人生の時間"は戻らない。 内心では、まだ悔しいと思いながら、改めて振り返って考えてることは... これからの自分の身の丈に合う"物差し"を、もう一度心の中に作ろうなんてね♪ 砂に残された時間はもう長くはない。だから、精度の高い物差しが欲しい。 砂は、今、色んな人に聞いてみたい。 あなたのしあわせの物差しは何?って... さてさて... 今日の花は、秋の日差しが似合う黄花秋桜(きばなこすもす)だよ。 黄花秋桜は、メキシコ原産のコスモス属の花で、花の色が黄色かオレンジ色のため、 この和名がついたようだ。 コスモスと同属の花なんだけど別種で、コスモスが細い線状の葉なのに対し、 黄花秋桜は太くギザギザがあるのが特徴だ。コスモスに先駆けて咲きはじめ、 9月の下旬には最盛期を迎えるから、今は本当の見頃だよ♪ お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
[砂的つぶやき] カテゴリの最新記事
|
|