テロとの闘いは誰の正義か...
この爆撃された一角は過激派勢力の者だけで、市民の犠牲はまったくないと、いったい誰が、どんな理屈で断言できるというのだろう...パリの同時テロの報復で、シリア空爆はより感情的で激しくなっている。爆撃は、過激派勢力の拠点への打撃を目的としているものだが、使用している爆弾は、ピンポイント攻撃が可能な誘導兵器でだけはなく、人口密集地に、大きな被害を与える区域制圧用の強力な兵器も投入されている。欧米人は異なる民族を、もはや人とは思っていない。1,000ポンド(500kg)爆弾は、おもにコンクリート施設用爆風殺傷半径 16m以内で即死、40m以上が生存域破片殺傷半径 80m以内即死、500m以上が生存域家屋倒壊半径 30m以内倒壊、60m以内半壊、120m以上が未倒壊域2,000ポンド(1000kg)爆弾は、橋やトンネル、頑強な施設用爆風殺傷半径 20m以内即死、50m以上が生存域破片殺傷半径 150m以内即死、500m以上が生存域家屋倒壊半径 40m以内倒壊、80m以内半壊、160m以上が未倒壊域確かに、善良な市民を傷つけるテロは卑劣で忌むべき犯罪だ。しかし、その根源を垣間見ると、言葉を失うことがあまりに多い。現在も、世界人口の三分の一は戦時下に暮らすという。2013年の統計によれば、世界には今も40もの紛争地域があり、23億人を超える人が紛争地域に暮らすといわれている。そもそも、民族間に対立を生んだのは何なのか。確かに、民族が異なれば価値観も相当違うことは事実だが、宗教対立を挙げる識者もいるが、果たしてそうだろうか。宗教や思想の違いはあっても、生存権は平等である筈。その昔、西洋諸国は奴隷の労働力を求めてアフリカを支配し、時代が進むと、列強は交易利権を求めてアジア太平洋地域に進出。さらに、石油という新たな価値に目覚めて中東に手を伸ばす。すべて、欧米が強者の論理で、海外の弱者にゴリ押しして、一方的に利権を求めた結果ではないのだろうか。現代の紛争の原因は、飢餓と貧困と生存権の危機。解かりやすくいうと、激しい貧富の格差だ。かつて、欧米列強の領土や植民地と呼ばれた途上国では、約1,090万人の子供が5歳の誕生日を迎えずに命を落とし、60%が飢餓と栄養不良に関連した病気が原因とされる。過激な抵抗組織を生むまで、彼らを追い詰めたのは誰なのか。事実に目を向けずして、安易にテロを非難する事はできない。そもそも、戦争とテロの違いは何であろうか。かつて、ナチスドイツが圧倒的武力でフランスを占領していた頃、フランス市民は、ドイツ人の殺害や爆破、通商破壊を行い、レジスタンス活動で抵抗した。しかし、ドイツ側から観れば、テロ行為ではなかったか。たった一晩で、10万の一般市民を殺した東京大空襲は?長崎と広島の原子爆弾の投下は?もし、私たちの暮らしが、外国の軍事力で支配されたら、いったい、私たちはどうするだろう。最初の頃は、恐らく家族を連れて逃げるだろう。逃げる場がなくなったらどうなる?水も食料も断たれ、家族が飢えたら? 子供が敵兵に殺されたら?追い詰められたら?これは、私たちに無縁な、対岸の火事でよいのだろうか。国連は、先進国の裕福で、平穏な市民の暮らしを脅かすテロを、卑劣な犯罪だと徹底非難し、報復することを安易に容認しているが、大国の軍事行動に、国連と世界はどうしてこれほど寛容なのだろう。ここにも、先進国の傲慢な論理だけが見え隠れする。先進国にとって不都合があるにせよ、根源的な事に目を背けては、武力行使も、経済制裁も、テロとの戦いを表明することでも、テロは決してなくならない。Merry Christmas!せめて、X’masだけでも、紛争地の子供たちが怯えることなく、平和で静かに過ごせる一日であるよう祈りたい...