テーマ:ココロ(1186)
カテゴリ:砂的つぶやき
青 春 恰 自 到 苔 花 如 米 小 也 学 牡 丹 開 袁枚の詩「苔」 白日不到処 (白日 至らざるところ) 青春恰自到 (青春 あたかも自ら来る) 苔花如来小 (たいか 米の如く小さきも) 也学牡丹開 (また牡丹を学んで開く) (砂天狗 訳) 日のあたらないところでも、春は、来るべきときに、 ちゃんとやってくるんだよ。 苔の花は、米粒みたいにちっぽけだけど、 これだって、大輪の牡丹のように、ちゃんと花開くんだ。 袁枚(えんばい)は、十八世紀(清朝)の代表的な文人だ。 十二才で科挙を受験し1738年に挙人、翌年に二十四才で進士に及第したエリートだった。 ちなみに科挙とは、隋、唐代に制定された高級官僚の登用試験のこと。 県試、府試、院試の各試験に合格しないと受けられない難関の試験だった。 府試までは、科挙の前試験のようなもので、合格すれば生員となるけど、 科挙試験の資格を持った者という意味で、科挙試験に合格した訳ではない。 その後、役人として勤務したりしながら次の試験を受けた。 郷試:科挙の一次試験で郷試合格すれば挙人。 会試:科挙の二次試験で合格すれば「貢士」。郷試に合格した挙人が京師で受ける。 殿試:科挙の最終試験で合格すれば「進士」。 袁枚はしばらく宮中で勤務した後、地方の県令に出され、以後、地方を転々とし、 江寧の太守の任にあったとき、その地に豪邸を購入して、随園(ずいえん)と名づけた。 本来、大臣になってもおかしくないのに、妬みのため地方回りばかりさせられ、 そのうち官僚生活に嫌気がさし、三十八才で官職を辞した。 県令=古代中国において県知事に相当する官職名。 太守=地方行政長官の官職名。(県を複数合わせた郡の長官) それでも袁枚は腐らず、隠居暮らしをして、高潔風雅な文人として人気を博し、 弟子入りを望む者や、詩文の執筆を依頼する者が続出したと伝えられる。 砂は、この漢詩の本当の意味を次のように理解してる... 周りの人より環境に恵まれなくても、自分のおかれている境遇を悲観したりせず、 ただ、自分自身が努力を怠らなければ、身の丈に合ったチャンスは訪れると。 料理本を出版したり、芸術全般に才ある人だったけど本領は詩文。 官僚としては不遇だったけど、文人としては大成功をした。 そして、八十過ぎまで裕福に自由気ままに暮らしたそうだ。羨ましい~♪ お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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