テーマ:"あすの日本を考える"(493)
カテゴリ:誇るべき日本人
エルサレムの丘には 「ユダヤ民族の幸福に力を貸した人々の恩を永久に讃えるために」と刻まれた ゴールデンブックと呼ばれる黄金の碑がある そこには モーゼやアインシュタインなど ユダヤの英雄たちに混じって "偉大な人道主義者"として 日本陸軍の樋口李一郎中将と 部下の安江仙江陸軍大佐の名前が刻まれている... 昭和12年(1937)12月、この物語の舞台となったのはハルピン。 事のはじまりは、静かな雪の夜の出会いだった... この年の夏、ハルピンに特務機関長として赴任した陸軍少将 樋口季一郎のところに、 深刻な顔をした初老の外国人が訪ねて来た。男は、内科医のカウフマン博士と名乗って、 流暢な日本語で突然の訪問の非礼を樋口に詫びたあと、驚くべきことを口にした。 カウフマンはユダヤ系ドイツ人で、ヒトラーのユダヤ人迫害を世界に訴えるため、 ハルピンでユダヤ人の大会を開く許可が欲しいと樋口に申し出たんだ。 樋口自身、このハルピンに赴任する前は大使館付武官としてベルリンに駐在し、 各地を巡ってはユダヤ人に何が起こっているのかを良く理解していた。 ハルピンは、白系ロシア人とユダヤ人の対立が深刻化し、各地で流血事件も多発していた。 また、日独伊三国同盟に調印した日本とって、ユダヤ人問題はデリケートな問題だった。 けれども、樋口はためらいなくカウフマンの願いを快諾して、力になろうと約束をした。 樋口が許可した集会は、極東ユダヤ人大会として昭和13年1月に開催され、 樋口に身に危険が及ぶことを心配する部下の反対を押し切って、樋口は招きに応じ、 壇上から集まったユダヤ人に挨拶した。 挨拶で、樋口はユダヤ人迫害を厳しく非難して、ユダヤ人庇護の必要性を示唆するなど、 当時の日本陸軍の軍人としても極めて異例で、同時に危険を伴うスピーチだった。 樋口のスピーチが終わった途端、場内には割れんばかりの拍手と歓声が響き、 ユダヤ人たちは壇上詰め寄って樋口にひざまずいて涙を流したという。 大会の終了後、樋口のもとに各国特派員や記者が詰め寄ったのはいうまでもない。 樋口は笑顔で、「ユダヤの民族に同情的であるのは、日本人の古来からの精神~ 日本人には、義を以て弱きを助ける気質を持つ~世界が祖国のないユダヤ民族に 一国を与えて幸福を考えない限り、この問題は解決しないだろう」と、取材陣に向けて答え、 樋口のこの発言は世界に配信された。 そんな樋口に、緊急情報が入ったのは昭和13年(1938)3月8日の未明のことだった。 満州と国境を接するソ連領で、迫害から逃れたユダヤ難民が吹雪で立往生しているという。 シベリア鉄道でやってきたユダヤ人の集団が、満州への入国を拒否され、立ち往生して、 飢餓と寒さの中、"約二万人"が命の危機に瀕していた。 この日を境に、樋口李一郎は軍人として極めて希な運命を歩むことになるんだけど、 このときの樋口には、まだそんなことを知ることはできなかったんだ。 明日へつづく... お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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