649486 ランダム
 HOME | DIARY | PROFILE 【フォローする】 【ログイン】

ないものねだり

ないものねだり

【毎日開催】
15記事にいいね!で1ポイント
10秒滞在
いいね! --/--
おめでとうございます!
ミッションを達成しました。
※「ポイントを獲得する」ボタンを押すと広告が表示されます。
x
2011.10.27
XML
カテゴリ:誇るべき日本人
(ススキ 砂天狗撮影)

昭和13年、凍てつく厳寒のハルピンの街。
この話は、杉原千畝(すぎはらちうね)が、六千人のユダヤ人にビザを発給し、
その命を救う二年前の出来事だったんだ。


オトポールは、満州と国境を接するソ連領内の街だった。
満州国から、入国を拒否された二万人のユダヤ難民は食料も底を尽き、
激しい吹雪の中で命の危険にさらされていた。


特務機関長だった樋口李一郎少将は、この緊急事態に苦悩していた...
樋口は、満州国外交部が下したユダヤ人難民の入国拒否という判断に、納得できず、
怒りを感じてもいた。


満州国は、「五族協和」の理想を掲げた建国理念に基づき、難民を受け入れるべきだと、
樋口自身、事前に満州国外交部とユダヤ難民問題について再三に渡って意見を交わし、
そのように合意を得ていた矢先だった。 


「自分が動く訳にはいかない...」樋口にとっても明かに越権行為となる重大問題でもあった。 


本来だと、満州国外務部が自国の対応として受け入れを決断すべき問題で、
樋口が、幾ら日本陸軍の将軍という地位にあるとはいっても、軍人の自分が介入すれば、
満州国は主権を持つ独立国家だと、これまでの日本主張を否定する事態にもなりかねない。
しかし、そうしている間にも、酷寒のオポトールでは、二万人ものユダヤ難民の命が、
今にも潰えようとしていた。


仲間の救出を懇願しに駆けつけてきたカウフマンも、樋口の立場を十分理解していたから、
祈るような目で見守ることしかできずにいたんだ。



   


もう一刻の猶予もない... 樋口は、遂に直接救援することを決断して動いた。
満州鉄道総裁には救援列車を依頼し、カウフマンには難民の受け入れを準備するよう伝えた。


こうして、樋口の決断から二日後の三月十二日、オポトールで危機にあったユダヤ難民たちは、
国境を通過することができ、全員無事にハルピンに到着して保護された。
一歩間違えれば、ソ連軍との戦闘にもなりかねない危険な救出劇だった。


後日、ユダヤ人難民の大半は、上海を経由してアメリカへ渡航したが、
樋口らは難民に対して、食料のほか、金銭的な相談や居住場所など、
ハルピン滞在中の生活面についても色んな形で、手厚い援助をした。




明日につづく...












お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう

Last updated  2011.10.27 00:59:51
コメント(2) | コメントを書く


PR

Profile

砂浮琴

砂浮琴

Calendar

Headline News

Keyword Search

▼キーワード検索

Freepage List


© Rakuten Group, Inc.
X