テーマ:ココロ(1186)
カテゴリ:砂的つぶやき
人間五十年、下天の内をくらぶれば、夢幻の如くなり... これは、能の「敦盛」の一節で、戦国の武将 織田信長が好んで舞ったと伝えられる。 この一節の基となったのは、『倶舎論』第十一巻。 「人間五十年、下天一昼夜」という一文だ。 砂は、すでに信長の年齢を一つ超えて年上になった。 いや... なるつもりはなかったけど、なってしまったんだなぁ。 自分も、人生は概ね五十年と考えてきたから、あと数年を自分の余生だと思ってる。 あと数年というと、危機的状況にある職場が何とか続いたとしても、 三年半後には、自分は定年を迎えて役目を終えることになる。 リタイアして、社会人として現役の居場所がなくなったときに、 人生と呼ばれていたものが、余生という呼び名に変わるんだろうね。 心の中で、老いというものが現実味を帯びてきた。 数年前、色んな病気を経験した。入院も手術もしたし、死にかけもした。 とくに能動的に死を望んではいないけど、今さら死を恐れている訳でもない。 そろそろ砂も、人生の方向性を見直して、後片付けをする時期なのかなとも思う。 恐らく、この一、二年が、身綺麗に老いを受け入れるための転換点になることも、 当然理解して想定しているつもりだ。 最近、断捨離というときどき言葉を耳にする。 クラターコンサルタントの、やましたひでこが提唱した言葉で、 ヨーガにある断行、捨行、離行という考え方を応用して、 人生や日常生活に不要な物を断ち、捨てることで、物への執着から解放され、 身軽な暮らしを手に入れようという考えだそうだ。
断=入ってくる要らない物を断つ 捨=ずっとある要らない物を捨てる 離=物への執着から離れる 本来、砂は片づけが苦手な男だったけど、これも時期というものかと。 必要な人、必要な物だけと関わって、軽やかに晴れ晴れとして生きたいものだね。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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