カテゴリ:民話とあやかしの世界
夜の空気が、冷え込んで来ると思い出すことがある... それは、もう随分昔。だけど忘れられない夜の出来事。 当時、砂は、尼崎市の私鉄沿線のとある古い木造アパートに暮らしてた。 内壁は粗末な合板で、四畳半一間の部屋には西側に半間くらいの小さな窓が一つ。 台所には、マッチで火をつける鉄製の小さなコンロがあるだけ。 流し場とトイレは、1階と2階に共同で一つあるのみの、絵に描いたようなぼろアパート。 アパートの住人は、みんな同年代の気さくな地方出身者。 苦学生や見習いの板前、手先の不器用な町工場の工員、そして出っ歯のオカマちゃん。 砂は、直ぐに住人たちと仲良くするようになり、誘い誘われてはお互いの部屋を行き来して、 色んな夢を語り合ったり酒を呑んだりして、本当に楽しい時代だった。 ある冬の寒い夜のことだった。 夜も11時を過ぎると人通りも殆どなく、この辺りは所々に薄暗い街灯があるだけで、 暗く寂しい夜道となる。 砂は、隣の部屋の佐賀出身の学生と、1階に住むオカマちゃんの三人で銭湯の帰り道。 自販機で温かい缶コーヒーを買い、三人でバカ話をしながらアパートに戻る途中だった。 向こうの方から、大人の女と子供らしい人影が向こうから近づいてくるのが見えていた。 連れの学生が急に会話を止めて「なんか変やぁ...」と、砂に言い、 出っ歯のオカマちゃんが、薄暗い道に目を凝らす。 「そうやなぁ~ ちょっとおかしいなぁ~」とオカマちゃん。 そう... 確かにどこか様子が変だった... 暗くて、それでも遠目でも判るぐらい、母親と思われる女が小さな女の子の手をひいて、 こっちの方に歩いて来るんだけど、見るからに歩く様子がおかしかったんだ。 学生は、さらに「見てほら、足...片方履いとらんぞぉ」。 砂は、「旦那にでも殴られて逃げてんのと違うかぁ~」と彼に言いながら親子を見ると、 若い母親はグレーのカーディガンに濃紺のスカート、右足だけサンダルを履いてて、 子供の手を握った左側の足は裸足。なので、歩く毎に子供の方に体が傾くようだった。 女の子は三歳くらい、ピンクのセーターに赤いスカート姿のように見えるけど、 どうやら両足とも裸足のようだった。 砂は「やっぱりおかしい!」と、二人に言った... ちょうど8メートルくらいに近づき、街灯に照らされた親子の姿に違和感を覚え、 三人とも我が目を疑って凍りついた。 母親は目も虚ろで血の気がなく、身につけた衣服が汚れて肘の部分が破れていた。 女の子はやっぱり裸足で、セーターは大きく破れて汚れてた。 親子は、まるで砂たちが見えてないように、ただフラフラと歩いて来る。 ゾッと、背筋が凍った! すれ違ったとき、はじめて子供が砂の方を振り返ったんだ。 その顔は、灰色で悲しげで、生きているような顔ではなかった。 子供の顔には、目の形に黒い穴が開いてるだけで目玉がなかった。 三人とも、親子の異様さにすっかり動揺してしまい、声も出せなかったけど、 もう一度親子の方へ振り向いた途端、親子の姿は見えなくなってしまった。 その場所は、工場のコンクリートの長い塀が両側に続くだけで、 人が出入りできるような路地や、曲がり角も路地もないところだったんだ... 三人は、そのままアパートへ歩いて帰る気持ちにもなれず、 急ぎ足で角を曲がって直ぐの所にある馴染みの喫茶店に飛び込んだ。 「どないしたん?」と聞くマスターに、さっき見た親子の話をすると、 先客の一人が、言い出した... 「さっきな、この先の踏切で飛び込みあったんや・・・ ワシな、見てしもたんや」 店にいた客はタクシーの運転手で、夕方その親子を駅まで乗せたそうだった。 母親は小銭しか持っておらず、タクシー代も全額払えなかったそうで、 運転手は気の毒に思って「ワンメーターだけやし、もうエエよ。」と、 料金を受け取らなかったそうだ。 そして夜、乗務が終わってこの店に来る途中、踏切で人身事故の現場を通りかかり、 偶然に親子の変わり果てた姿を見てしまったんだ。 服装も格好も、砂たち三人が見た通りの親子。 それに、砂たちが見た親子が歩いてきた方向には、確かに小さな踏切があるんだ。 マスターと運転手が言うには、つい2時間前のことだったそうだ。 今でも、あの冬の夜に見た母子顔が、砂の脳裏に焼きついてるんだ... お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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