テーマ:歴史の探索(130)
カテゴリ:砂的古典文学のススメ
(内蔵助の情報管理) 内蔵助は、討ち入り前夜の12月13日に、花岳寺の恵光(えこう)和尚、 正福寺の良雪(りょうせつ)和尚と神護寺に宛てて"暇乞い状"をしたためている。 これは"寺々への暇乞い状"と呼ばれ、内蔵助の手紙の中でも最も有名な書状。 書状は、まず10月7日に京を発って江戸に出てからの経過を説明し、 近々討ち入りを決行して、本望を達する所存であると説明している。 次に、このようにして書き残すのも恥ずかしいことだけれどもと述べつつ、 途中脱落者の名を掲げ、今となっては同志に加わらなかった者の方がましだと記し、 また、間近に内蔵助が暇を出した家来の左六と幸七のこれまでの働きを誉め讃え、 二人の将来を案じ、後日彼らのために口添えをして欲しいと頼んでもいる。 そして、結びには、一同の目的はあくまで亡君の面目を立てることであり、 死後の見分のために用意した"口上書の写し"を送ること、いずれも忠義に厚い者たちだから、 家臣たちの"手厚い供養"を頼むこと、家族のこと... そして、詳細は京の寺井玄渓(てらいげんけい)に聞いて欲しいと、 大石内蔵助は、見事な文体と筆運びで書状に書きしたためている。 討ち入りの決行日がすでに明日となりながら、最後まで具体的な日付を残さず、 機密保持に徹していたのも、沈着冷静な"戦略家"としての優れた一面を覗かせている。 赤穂騒動記(5)へとつづく... お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
[砂的古典文学のススメ] カテゴリの最新記事
|
|