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ないものねだり

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2011.12.26
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俗に"ひのえうまの女は夫を喰い殺す"などという。
でも、こんな俗説はどうして生まれたのか...


周知の通り、年の十二支は子、丑、寅、卯、辰、巳、午、未、申、
酉、戌、亥の12年周期。同じく、年の十干は、甲、乙、丙、丁、
戊、己、庚、辛、壬、癸の10年で巡る。 


つまり、同じ干支と十干の年の干支は10と12の最小公倍数の60年で巡ってくる。
それで、同じ干支に還る年を「還暦」と呼んで祝う所以となっているんだ。


最新の丙午(ひのえうま)の年は昭和41年。
調べによると、この昭和41年は出生率も例年より低下したそうで、
この生まれ年には、未婚女性も多いそうだ。


丙午の女は男を喰らうとか、災いをもたらすなどといわれるようになったのは、
一説によると、付け火で大火を起こした八百屋お七からだといわれる。
これ以降、この年に女性が生まれることを忌んだそうだ。



  


五行でいう丙午の年は、真夏は猛暑になるといわれている。
それは、丙が太陽を意味し、午も同様に真夏の盛りを象徴するため、
これが重なる丙午は、「炎」を意味する。


そういう理由で、この組み合わせを吉凶で占うと災いの凶として見るけど、
丙と午の象徴は火なので力強い、一途なパワーの星の巡りで強運でもあるそうだ。


世の男たちが、自分らの威厳を揺るがすほどの強運の女を差別するため、
でっち上げた悪いイメージだという説もあるんだ。



『八百屋お七の物語』

天和ニ年(1682)、牛込辺りから出火した火は、折からの風に煽られ、四谷、赤坂、
芝海岸までを焼く大火事となった。


この大火で、焼け出された八百屋一家が円乗寺に身を寄せてた折、
一家のお七という娘は、吉三郎という寺の小姓に一目惚れをして、
お七の心には小さな恋の炎が灯ったんだ。



  


お七の家は再建されて、やがて一家はもとの暮らしに戻って行く。
その後も、お七は吉三郎に頻繁に文を通わせたりはしていたけれども、
思うようには恋は進展せず、胸に秘めた想いは益々募るばかりだ。


いつの世にあっても、恋は盲目... 
お七の心の中に、その盲目の恋の炎は燃え広がって行った。


もし再び家が焼けたら、またあの寺へ避難して、愛しい吉三郎に逢えるかと...
お七は、そんな危なげな想いに駆られてしまうようになる。
そして、翌天和3年3月2日の夜、お七はついに近隣の商家に火を放ち、
江戸の市中は紅蓮の炎に包まれた。





この付け火によってお七は捕らえられ、天和三年(1683)3月29日、
江戸市中引き回しの上、鈴ヶ森の刑場で火あぶりの刑に処せられるんだ。


奉行所での詮議では、幼いお七の恋心を哀れんだ奉行は心を砕いた。
そして、十五才以下の者は、その罪一等を減じるという御条法を適用して、
何とか救ってやろうと考え、「そちは未だ、毛も生えておらぬであろう?」とか、
「そちはまだ十五であろうに?」とか、何度も促すように問いただしたという。


ところがお七の方は、吉三郎との恋も叶わず、ただただ悲嘆に暮れてしまい、
自分は十六だと申し立てるばかりで、奉行の意図など汲むことはできなかった。


付け火の詮議を受けたとき、お七は十六になったばかりだったとされているけど、
実際は定かではないし、お七のアソコに毛が生え揃っていたかどうかについても、
一切記録にはない...



地球に四季があるように、世の中には様々な周期がある。
だけど、生まれ年や、名前の字画なんか自分で選べないものだ。
生まれてくることさえね。


世の中には、占い好きな人もいるし、「あの人はA型だから」とか、
そんなことで、他人に自分の価値を決められたり、判断されたくはないね。
寒くなると火が恋しくなるけど、くれぐれも火の用心♪













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Last updated  2011.12.26 00:53:50
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