テーマ:"あすの日本を考える"(493)
カテゴリ:砂的つぶやき
今朝、親戚の古老の遺骨が祖国に戻った。 亡くなったのは今から一年ほど前のこと。享年九十九才の大往生だったという。 元陸軍中佐で従五位下の官位を持つ、親戚の中でも最高齢者だったようだ。 代々北面武士の家に生まれ、陸軍幼年学校から陸軍士官学校へと進み、 陸軍大学を卒業したのち日中戦争に従軍。 終戦をハルピンで迎え、そのまま身柄をシベリアに移送され抑留された。 シベリアでは、粗食と屈辱と過酷な労働に耐え、帰国できたのは昭和31年。 帰国した際には、右足の指を凍傷で失ない、左目は失明していた。 満身創痍で京都山科に戻ったとき、妻はすでに他の男と所帯を持っていたため、 自分は黙って身を引き、先祖の墓前に帰還の挨拶を済ませて早々に上京。 その後、昭和40年代にアルゼンチンへ渡って、終生独りで暮らしたようだ。 実家はすでに途絶え、現地の日本領事館から伯母に連絡が入って事の次第を知った。 翁は、ブエノスアイレスで宝石商を営み、暮らし向きは芳しかったようだ。 幾ばくか財産を残しており、遺言で遺産は元妻の子と孫に贈られるという。 四十半ばまで、翁の人生は苦難と試練の連続ではなかっただろうか... 毛筆で綴られた遺言書には、妻を責める言葉は微塵もなく、妻へ財産を遺贈する旨と、 自分の留守中の労いと、謝罪と、感謝の言葉しか見当たらなかった。 当の元妻は、十年前に八十才で他界しており、その子や孫を探すのに約半年を要した。 翁の遺言を、元妻に直接手渡すことが叶わなかったのが何より残念でならない。 翁の半生に限らず、戦争というものは多くの人に残酷な運命を課すものだ。 翁の遺骨は、次週、我が家累代が眠る菩提寺 東山の知恩院に納骨することにした。 アルゼンチンでの翁の晩年が穏やかで、多少なりとも幸せであったと信じたい。 こうしてまた一つ、一族の昭和史が終わった... お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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