テーマ:"あすの日本を考える"(493)
カテゴリ:理屈っぽい時間・・・
何日か前、職場の同年代数人で雑談していたときのこと... 当時の流行や懐かしい遊びの話から、当時の学校教育にまで話題が広がったんだ。 砂より1才上の女性管理職が小学校時代を振り返っていうには、 「あの頃、とにかく教師は"平等"とか"均等"とかを意識してたみたいで、 上でもなく下でもなく、教師の都合のイイ教育された気がする」と。 「皆と同じでないと注意されたりもしたな」と、当時を思い出したのは同い年の常務。 まるで工業製品の規格みたいに扱われたと。 児童期に型通りの教育を受けると、人と違った事をするのに抵抗を感じる。 そして、皆と集って一緒にいることや、同じであることが安心だったりしてしまう。 出っ張らない、目立たない、逆らわない、意見しない... 自分たちが受けた義務教育は、そんな大人を大量生産する工場だった。 飼い慣らされると、つけられた癖は消えにくいもんだと。 「画一化はこの国の元凶だね」とつぶやいたのは砂。 そんな中で、イジメの心理が芽生え、エスカレートして最後には慢性化する。 一方、イジメに遭った者の大半は、集団から脱落してしまうし、 とことん優等に振舞った者は彼らだけで群れをつくり、特権集団をつくる。 こうして、格差の社会基盤ができてしまってるんじゃないのかな? 数値上の学力の平均値は単なるデータであって、養育で追うべき"目標値"ではない。 路線を外れたり、脱落することを恐れると、人は誰も冒険しなくなる。 教育が他との違いを認め、個性を尊重する多様な教育に成長しない限り、 この国のよさであるモノづくりと、創意工夫の柔軟性はいずれ損なわれてしまう。 国の発展と教育とは、密接な関係がある。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
[理屈っぽい時間・・・] カテゴリの最新記事
|
|