カテゴリ:砂的博物誌
多くの人は、染井吉野の華やかさを好むが、砂は山桜に心惹かれる。 小倉百人一首の、この歌の詠み人前大僧正行尊も、砂と同じ思いだろう。 努力や工夫、勤勉、善行を積むのは、有力者や人目に触れて、 褒められたり、立身出世をしたりするための行いではない。 人に見られなくても努力し、学び、働き、善行を積むのは、 自己を達成して生きることそのものだ。 和歌に詠まれ、童謡やJポップにも歌われるほど、 日本人にとって、桜はことさら特別な愛される花だ。 けれども、漢詩の故郷の中国では梅、桃、牡丹が春に好まれ、 桜を詠った漢詩は、殆どないといってもよいほど少ない。 遅れに遅れて、やっと山桜の開花がはじまった。 例年に比べれば、山桜は三週間ほど遅れたことになる。 染井吉野はまだ三分といったところで、これも十日ほど遅い。 山辺の山桜は 人に見られずとも咲き 人に知られずとも生きる 人もまた 山桜の如く 咲きてこそ桜 花咲きてこそ春 知られずとも見られずとも生きてこそ 大和國の男(おのこ)なりやと (砂浮琴 愚詩) お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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