カテゴリ:砂的博物誌
昨日も書いた通り、現在は"花見"といえばもっぱら桜だけれど "ハイカラ"な唐風文化に憧れた、奈良時代の都のトレンドは「梅」だった。 元来、春の花として中国では梅、桃、杏、牡丹が好まれる。 こうした"チャイナクール"は、先進の文化とともに当時の日本へ伝わり、 確かに一時期、朝廷や公家や僧侶を中心に一種のトレンドにはなった。 けれども"唐風"が廃れ、"国風文化"の開花とともに、桜への愛着は復活した。 砂は、日本人が桜を愛する"素地"は、もっと遥かに古くからあったと考えている。 一つの理由は、かつて農耕を中心とした古代の民の暮らしに見られる。 古来、農民の間では、桜には農耕の神が宿っていると考えられた。 「桜」の語源には諸説あるけど、一説には「さ」は「早苗」に由来するとともに、 同時に神を表し、「くら」は神が鎮座する所を示すという。 日本の農村には、集落の主要な所には桜の巨木が見られ、 中には樹齢千年を越すものもあり、今もこうした"痕跡"が各地に残る。 福島県三春町の滝桜や、山梨の神代桜、岡山の醍醐桜などはその例だ。 夏は青々と葉を茂らせ、冬は葉を落として風雪に耐え、 猛暑も、厳寒も、嵐に見舞われても桜は季節を忘れない。 そして、春の到来とともにここぞとばかりに見事に咲く。 そんな桜の姿に、農民は勇気づけられただろうし神をも連想しただろう。 何より文字も読めず、暦もなかった大昔は"種蒔き"や"稲作"の目安になった。 もう一つの理由は、平安後期に公家勢力に台頭した武士の存在だ。 桜は、見事に咲いたかと思えば、潔く花吹雪で美しい最後を飾る。 武士たちは、桜の散り際の気高さに感銘し、自らの見本ともした。 こうして、農耕文化や武士の精神文化とともに、桜は日本の魂となった。 この国に桜が咲く限り、日本の美しい文化は守るべきだと思う。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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