カテゴリ:砂的博物誌
散り際の桜の美は、春のもう一つの見どころ。 昨夜の雨は、今年咲いた桜にとっては"野辺送り"の儀式。 花びらを洗い清める、花散らしの雨となったようだ。 桜の花の美しさは、枝いっぱいに咲いた花だけではない。 春を謳歌し、季節の役目を果たし終えた、花骸(はなむくろ)さえ美しい。 古(いにしえ)の日本人の美意識に共鳴するには、 感性を鋭くするために、視点を変えて貪欲に味わえばいい。 願はくは 花の下にて春死なん そのきさらぎの 望月のころ (西行法師) 満月、花、涅槃会の死は、仏教者には理想であり美学だったんだろう。 西行法師が生きた時代には、花といえばすでに「桜」の世だった。 二月十五日は釈迦入滅の日で、涅槃会(ねはんえ)の行われる日だ。 死ぬなら釈迦の命日に、できれば桜の花の下で命を終えたいと願い、 西行は歌にそんな想いを込めたのだと思う。 西行の時代の二月十五日を今に換算すると、三月二十四日前後だそうだ。 例年だと、山桜が咲きはじめる頃だろうか... 史実によれば、西行法師はその願い通り、建久元年二月十六日に没した。 今生の別れの桜を、きっと目に留めたに違いない... まるで、それは桜のように見事な最期だね。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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