カテゴリ:砂的博物誌
今日の花は、久々に帰った故郷の次郎坊延胡索(じろうぼうえんごさく)の花。 ケシ科 キケマン属の春咲きの野草で、熊野の子供らはこの花を次郎坊と呼び、 菫(スミレ)を太郎坊と呼んで花同士を絡ませ引っ張って遊んだ。 次郎坊の咲く春は、子供はお金を使わずに遊べる楽しみな時期だった。 次郎坊延胡索は、ちょうど今頃から南紀の野山や道端に見られる花だ。 さてさて、大人になって金を出せば、遊び方も色々があるもの... これは、幕末のプレイボーイ高杉晋作が、花魁に捧げた都々逸だ。 夜明けを告げて鳴く烏がいなくなれば、お前といつまでも寝ていられるのに... また、熊野権現の誓いを破らせて独占したいという意味も含む。 遊女と熊野神社と何の関係?って、疑問に思う人もいるだろう。 そもそも、熊野の神の化身は八咫烏(やたがらす)。 神武東征の折、八咫烏は高御産巣日神(たかみむすびのかみ)に遣わされ、 神武天皇に熊野国から大和国への道を標したとされる神鳥で、 三本足の烏(からす)として知られて姿絵が伝わっている。 熊野三山においては、この八咫烏は神使とされるだけではなく、 太陽の化身と考えられ、八咫烏そのものが信仰の対象でもあった。 そのため、近世以前に起請文として使われた熊野の牛玉宝印には、 必ず烏が描かれているんだ。 八咫烏は真偽正邪を正す霊験があるとされ、誓いを立てるには相応しかった。 仮に起請文の誓いを破れば、本人は血反吐を吐いて息絶え地獄に堕ちるとされ、 遠い熊野では神と人を取りもつ烏が三羽死ぬと信じられていたという。 江戸時代ともなれば、そんな午王宝印も遊郭を飾る小粋な小道具の一つになり、 花魁たちは、馴染みの客に起請文を"乱発"して、散々男を弄んだという。 かつて「誓詞書くたび三羽ずつ、熊野で烏が死んだげな」と唄われたように、 砂の故郷の熊野では、恐らく相当な数の烏が死んだと思うよ。(笑) お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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