テーマ:"あすの日本を考える"(493)
カテゴリ:ぶらり旅
この大仏殿を金堂とする伽藍が、華厳宗大本山の東大寺だ。 東大寺の大仏殿は、現存する世界最大の木造建築物だといわれる。 しかし、創建当時は今よりもさらに大きかったそうだから驚きだ。 とにかく、何度見てもデカい。(笑) そもそも、"東大寺"という寺名はいつの頃からなのか...? 出土した木簡は『東大之寺(ひむがしのおおてら)』と判読できるそうだ。 また、天平十九年(747)の正倉院文書にも東大寺の文字が見られる。 研究者は、大和朝廷の国分寺になった金鐘山寺が金光明寺と呼ばれるようになり、 その金光明寺が、大仏殿を中心に大伽藍として再編成されたと考えているそうだ。 そして、やがて平城京の東に建つ大寺という意味で"東之大寺"と呼ばれ、 ちょこっと縮めて、東大寺と呼ばれるようになったというのが有力説らしい。 市内から、三笠山麓の緑の中に大仏殿の金色の鴟尾(しび)を見ることができて、 遠目に眺めてみても、東大寺の威容と荘厳さは十分に伝わってくる。 東大寺のはじまりは、神亀五年(728)の聖武天皇の時代にまで遡る。 聖武天皇の皇太子、基(もとい)王の菩提を追善するために建てられた金鐘山寺で、 天平十二年(740)、この国で初めて『華厳経(大方広仏華厳経)』の講読がされた。 天平十三年(741)には、聖武天皇が"国分寺・国分尼寺建立の詔"を発して、 全国に国府を中心として僧寺(国分寺)と尼寺(法華尼寺、国分尼寺)が置かれ、 金鐘山寺は大和国の国分寺となった。 そして天平十五年(743)、聖武天皇によって"盧舎那大仏造顕の詔"が発せられ、 盧舎那大仏(るしゃなだいぶつ)のづくりが開始されたそうだ。 昔、奈良の伯父の家を訪ねるには、阪急電車で三ノ宮から梅田へ出て、 梅田から淀屋橋で近鉄に乗り換える必要があった。(ローカルな話題だ...笑) 今は、神戸から直行で奈良へ行くことができる♪ そういえば、昔々の幼い頃は大仏様の鼻の穴(木柱)をスルりと潜れたんだけど、 今はメタボで無理だろうな... 穴潜り別にイイけど痩せないとね。(笑) お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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