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ないものねだり

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2012.05.17
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少し前、4年以内に首都圏直下型地震の起きる可能性が70%と、
東大地震研究所の試算報道には驚いたね。
そのあと、一部報道では今度は京大防災研究所の確率計算で5年以内に28%と、
少しばかり穏やか内容の報道もあった。


この国にとって、人は老いて死ぬということと地震が起きることは、
ほぼ等しいほど確実なことは間違いないみたいだね。


だからといって、好きな数字を選ぶ馬券を買うような感覚にはなれない。
国でも、自治体でも、費用の掛かる防災には物理的に限界がある。
個人としても、それなりの知恵と努力と工夫が必要だ。


そう…安全といえば、防犯や防災対策だけには限らない。
戦後のピントのズレた教育の結果、"安全と水はタダだ"という大馬鹿者が増えたけど、
アフリカ・中東の紛争国や、内線を経験した東欧諸国の人たちからすれば、
そうした日本人の無知は、彼らから腹立たしくもあり軽蔑される。


以前、親しくしていた日本在住の中国人の言葉が思い出される...
「日本人は安全の本質を知らないと、いつか侵略されるか滅ぶよ」と。
その通りだと思う。


安全は、その安全の本質と自分との相関関係を知ることからはじまる。


そもそも、安全神話は履き違えられた民主主義と自由意識がもたらしたもの。
民主主義とは、多数決「数の論理」がすべてではない。


間違った事が、「数」の理屈だけでまかり通ることが、すでに民主主義ではない。
民主主義の理念は、秩序(法)の下の平等だ。
平等というからには、リスクもメリットも平等に分かち合うことだ。


震災の瓦礫の受け入れを拒否して、自分が安全快適ならイイと思っていることも...
沖縄だけに負担を強いて、自分は平気な顔で暮らすことも...
憲法9条を掲げていれば、不変的な平和を得られると思い込むことも...
都合のよい権利だけを主張する、自己中心的な正義感が産み出したものだ。


安全とは、代償を払ってでも手にすべきものだと思う。
それだけ、失ってはならないと世界中の人が強く実感するもので、
日本人だけが、安全が当たり前にあるのを前提に物事を考え過ぎている...



これからの日本が、安全を一番に思うなら、一人ひとりがこの国の成り立ちと、
隣国の動向を正しく知り、この国が断固として対応すべき相手を知るべきだ。
「知る」ということ自体が、安全を築く「力」になる。















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Last updated  2012.05.17 12:54:46
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