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ないものねだり

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2012.10.09
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カテゴリ:砂的つぶやき


厄介事が続いて、Blogを放置してる間に開設から1,094日が過ぎていた。
ブロ友さんも放置したままで、なんとも心苦しい限り。(汗)


1,000日。 言い換えれば2年7ヶ月。(別に言い換えなくても...笑)



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千日というと、千日前にはもう十数年足を運んでないけどどうなってるだろう?


道頓堀川の太左衛門橋から、南へ延びる通りは千日前と呼ばれる。
テアトルA&P、TOHOシネマズなんば別館、なんばグランド花月(NGK)、
ワッハ上方、5upよしもと、NMB48劇場などが入るYES NAMBAビルなど、
演芸場や映画館が点在する娯楽街だ。


そもそも、ここらは法善寺や竹林寺があって千日念仏を唱えていたことから、
とくに法善寺を千日寺とも呼び、その門前町ということで千日前となったそうだ。


江戸のはじめ、西堀川や道頓堀川を経て、千日前は市中引き回しのルートだったそうだ。
近隣の村々の墓所整理によって「千日墓地」と呼ばれる大規模な埋葬地がつくられ、
刑場や火葬場も併設され、後に噂話や因縁話、物語のネタにされることになる。


明治四十五年の大火で、難波から千日前、高津新地辺りが焼失し遊郭は消滅したけど、
南海鉄道が出資して大正三年にはハイカラな一大娯楽街として復興。


昭和七年(1932)には7階建ての南欧建築の大阪歌舞伎座が誕生。
初代中村鴈治郎をはじめ、大勢の歌舞伎役者の舞台が人気を博した。
また、松竹が楽劇部を大阪松竹少女歌劇団(OSSK)に改称したのもこの頃で、
千日前の大阪劇場(大劇)を本拠として映画上映、レビューや歌謡ショーを興行。
笠置シズ子や京マチ子といったスターを輩出した。


太平洋戦争では、この界隈は空襲に見舞われて焦土と化したけど、
演芸や飲食街として復活、大阪歌舞伎座にはGHQ向けのキャバレーができ、
キャバレーは朝鮮戦争集結まで営業したそうだ。


また、昭和二十年後半には大劇の地下にアルバイトサロン(アルサロ)が登場。
これが大いに繁盛して各地に広まり、今のキャバクラなんかの素となるんだ。


歌舞伎座は昭和三十三年(1958)に御堂筋へ移転、もとの建物はデパートに改装された。
これが、昭和四十七年(1972)年に火災で118人もの死者を出したあの千日デパートで、
現在ではビックカメラなんば店が建つ。


OSKも、1960年代には人気に翳りが出て大阪万博を前に大劇は閉鎖となる。
大劇跡地は、なんばオリエンタルホテルになっているらしい。



それにしても、日本の都市は欧米の都市景観に比べるとめまぐるしく変貌する。
熱しやすく、冷めやすいのが日本人だといわれれば、まぁそれまでだけど、
伝統や文化を大切にする欧州に比べ、それがよい事なのかどうかは疑問だ。
砂は、一つの物事を幾世代も熟成して昇華させるものを文化だと理解している。


新しい物に影響され、吸収力したり、応用したり、学問や能力は優れても、
事象の分析や反省、失敗に学ばず、学習能力に欠けるのは近代日本人の欠点。


粘りと、忍耐と、打たれ強いハートと、強いていえば民族の誇りを取り戻して、
色んな意味で時として獰猛に、賢くしたたかで、国際舞台で戦える日本に変わるべきだね。
喩えれば蝶のように舞い蜂のように刺す感じ? 砂的には夜の蝶がイイな(笑)








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Last updated  2012.10.09 15:49:58
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