カテゴリ:食べ物あれこれ
砂浮琴の故郷では、鯨のことを勇魚(いさな)と呼んでた。 無論、鯨(くじら)では通じないというワケじゃない。(笑)
捕鯨は各地にあったけど、とりわけ盛んだったのは壱岐と紀州と土佐だ。 勇魚は鯨の古語で、かつて鯨を捕獲する者はいさなとりと呼ばれた。 日本人が、鯨肉を食した歴史は驚くほど古い。 館山市にある、紀元前6000年頃と推定される稲原貝塚からは、 イルカの骨に刺さった黒曜石の銛先が出土しているらしい。 鯨一頭で七浦潤うといわれた通り、鯨一頭で近隣の集落まで満たせた。 日本人の素晴らしさは、恵みに対し感謝と崇敬を表わす心だ。 人々は、贄(にえ)となってくれた鯨に感謝と畏敬の念を込め、 鯨墓や鯨塚、祠、神社まで建てて供養し、感謝の祈りを捧げた。 こうした、鯨に纏わる文化は色々と伝承されている。 さて、積極的な捕鯨は奈良時代で、銛一本で鯨を仕留める突き捕り式だった。 その後、安土桃山の頃から専門的な捕鯨集団が水軍から生まれ、 捕鯨法は、網で鯨を絡め銛で仕留める網捕り式へと発展した。 砂浮琴の少年時代は、牛肉なんて滅多にお目にかからず、 肉といえば鯨肉が主流だった。 カレーだってシチューだって鯨肉だったし、照焼きもあったし味噌漬けもあった。 カツレツや佃煮、筑前煮や関東炊き、コロッケにだって鯨肉を使っていた。 そんな、低コストで給食でも定番だった鯨は、今やマグロより高い。(笑) それでも、鯨を使った故郷の味は、今でもときどき食べたくなる。 鯨の刺身やベーコンには、辛口の日本酒がとてもよく合う。 オススメは、土佐の司牡丹か越後の上善如水、南部美人もイイ♪ お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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