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ないものねだり

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2013.01.09
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カテゴリ:食べ物あれこれ


砂浮琴の故郷では、鯨のことを勇魚(いさな)と呼んでた。
無論、鯨(くじら)では通じないというワケじゃない。(笑)





捕鯨は各地にあったけど、とりわけ盛んだったのは壱岐と紀州と土佐だ。
勇魚は鯨の古語で、かつて鯨を捕獲する者はいさなとりと呼ばれた。


日本人が、鯨肉を食した歴史は驚くほど古い。
館山市にある、紀元前6000年頃と推定される稲原貝塚からは、
イルカの骨に刺さった黒曜石の銛先が出土しているらしい。


鯨一頭で七浦潤うといわれた通り、鯨一頭で近隣の集落まで満たせた。
日本人の素晴らしさは、恵みに対し感謝と崇敬を表わす心だ。
人々は、贄(にえ)となってくれた鯨に感謝と畏敬の念を込め、
鯨墓や鯨塚、祠、神社まで建てて供養し、感謝の祈りを捧げた。
こうした、鯨に纏わる文化は色々と伝承されている。


さて、積極的な捕鯨は奈良時代で、銛一本で鯨を仕留める突き捕り式だった。
その後、安土桃山の頃から専門的な捕鯨集団が水軍から生まれ、
捕鯨法は、網で鯨を絡め銛で仕留める網捕り式へと発展した。


砂浮琴の少年時代は、牛肉なんて滅多にお目にかからず、
肉といえば鯨肉が主流だった。


カレーだってシチューだって鯨肉だったし、照焼きもあったし味噌漬けもあった。
カツレツや佃煮、筑前煮や関東炊き、コロッケにだって鯨肉を使っていた。
そんな、低コストで給食でも定番だった鯨は、今やマグロより高い。(笑)
それでも、鯨を使った故郷の味は、今でもときどき食べたくなる。



鯨の刺身やベーコンには、辛口の日本酒がとてもよく合う。
オススメは、土佐の司牡丹か越後の上善如水、南部美人もイイ♪












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Last updated  2013.01.09 00:46:58
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