カテゴリ:理屈っぽい時間・・・
(郵便受け 砂浮琴撮影) 大手流通が地方に進出すると、正直ロクなことはない。 町並みも変われば、人の流れだってすっかり変わる。 だけど、変わるのはそんな見た目だけじゃない。 雇用と利便性をアピールして進出する大手流通は、実は地方を食い物にする。 地域の雇用と、暮らしを支えた小売業は疲弊し、暮らしが影響を受ける。 大手流通がもたらす雇用とは、申し訳程度の非正規雇用だ。 それに、大都市に本社を持つ大手は、地方には法人税を落とさない。 雇用や町の発展を期待し誘致した自治体は、まんまと一杯食わされた。 商店が消えた町からは、少しずつ人も減るし、地方産業は衰退する。 こうして、地方の雇用環境は悪化し、地域の人口は急激に減少しはじめる。 大手流通は心得たもので、メリットがなくなればさっさと手を引く。 職を求め人は都市へ流出し、地方産業が滅ぶと町は暮らせなくなる。 全人口に占める65歳以上の割合が70%近く、町の財政は限界を超え、 福祉予算も尽きて、老人の孤独死が年に約四十件余り。 でも、こんな町はもう珍しくはない。 置き去りになった民家に、錆びついた郵便受けが一つ。 今は忘れ去られたこの家も、ここに暮らした人にとって喜びでもあったろう... かつて、賑わった通りを抜ける間に出合ったのは、杖をつく老婆と猫一匹。 人の死は三度あると思う... 一度目の死は、未来の希望を失ったとき。 二度目の死は、心臓が機能停止し、命が消える物理的な死で、 二度目の死は、自分を知る人から自分が忘れられるとき。 自分が生きていた事実が、人の記憶から消えたとき本当の死が訪れる。 砂浮琴は、物理的な死より、むしろ一度目と二度目の死の方が怖い。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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