テーマ:ココロ(1186)
カテゴリ:砂的つぶやき
blogは、自分の日常を綴ったものだが、 活字にすると、自分であって自分ではないときもある。 例えば、心象を綴るとき。 客観的な、もう一人の自分がいることがある。 そこで、困るのが一人称だ。 今は、「砂」とか「砂浮琴」を一人称としているが、 まるで、さち子が自分でさっちゃんて呼んでるようではないか。 どうもピンとこない。 どうにか、しっくりくる一人称をと、 あれこれ考えてはいる。 わらわ、わちき、麻呂、手前(てまえ)、ミーは論外として、 正直をいうと「僕」、「私」も柄じゃない。 なら現実はというと、「自分」だな。 しかし、ここで大きな問題がある。 もし、blogに「不器用ですから」と書いたなら、 これじゃ高倉健ではないか... 我輩は=猫。 朕(ちん)コ? 某(それがし)という訳にもまいらぬ。 日本語には、沢山の一人称がある。 沢山あるというのに、しっくりこない。 くだらない事だが、ちょっと悩んでいる。 自分、不器用ですから... お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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