カテゴリ:仕事のお話
私自身も、恥じることなら沢山ある。 昨日の夜明け前、思うところあって車で遠方へ出掛けた。 旧知の友らに、苦言を呈すためだった。 煩悩とは、欲望と雑欲が入り混じり、塊を成した物だと思う。 本来の仏教用語では本惑、あるいは根本惑といわれ、 仏教や唯識の教学では、根本煩悩と枝末煩悩の二つに分け、 根本煩悩を、貪、瞋、痴、慢、疑、悪見の六種とする。 私は、煩悩を生きるために必要なものと捉えている。 仏教でいう根本煩悩は欲(欲望)、それ以外の欲を雑欲と解釈している。 欲望は誰にもあり、消すことは困難なもの。 仮にすべて消せば、自分すら滅するのではなかろうか。 何故なら、時として欲望は希望と夢を含むからだ。 捨てられぬものなら、いっそ選んで磨くしかない。 ならば、残すべき欲望を磨くことを人生修業とすれば、 より前向きに生きられる。 必要な欲望だけを磨き、代わりに雑欲を滅せば、 その果てには、希望と夢だけが現れる。 残す欲望は、自分で選ぶなら何でもよいのだ。 それが、自分自身の道となるから。 とはいえ、信義のない欲は身を滅ぼす。 「地に足のついた、真っ当で恥じない商いをせよ」、 「一時の儲けに焦り、晩節を汚すな」などと、 十時間余り滞在し、膝を交えて話し続けた。 その夜更けの帰り際、友らと夜空を仰ぎ見た。 高知の空には、十日目の月が輝いていた。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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