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ないものねだり

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2015.12.03
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カテゴリ:物申す
今日の午後は、両親を連れて外食をした。
午後2時を過ぎて客は少なく、客は障害があると思しき人と、
禁煙の店内で咥え煙草で食事する若夫婦と、騒ぐ子供だけだった。

子供は靴のまま、空席の椅子を飛び回り、親はコップに吸殻を捨てる。
店員は、見ぬ振りを決め込み、実に不愉快な風景だった。

しばらくして、障碍者の男性が席を立とうとするが立てない。
それを見て、子供らはケラケラ笑いその親まで嘲笑う。

店員に目をやると、バイトの若い姉ちゃんを口説くのに夢中で、
椅子でもがく男性を意にも介さない。

私の苛立ちは、ピークに達した...

私は、口に含んだ料理を飲み込んでから席を立ち、
男性に声を掛け、抱き起こして店の戸口まで手を添えた。

誰もが、一体どんな教育を受けてきたのだ。
買い物を済ませ、家に戻る車中、喋る気もなくした。

DSCN4386.jpg

多くの親が勘違いしているが、教育は学校の専売特許ではない。
地域の大人たちから善悪を学び、社会性を身につけるのだ。

昨今、犯罪は低年齢化し、犯罪が娯楽の延長になっている。
躾を受けなかった親が、躾をするのだから無理もない。

それが大人になると、幼児虐待や子供を狙う変態と化し、
少し知恵が回れば、高齢者の金を狙う詐欺師かIT犯罪、
もしくは被害者や遺族を踏みつけ、悪党を庇う人権弁護士だ。

メディアは、真実よりも取材権利と報道の自由にこだわり、
煽動と批判に偏り、国益と市民の利益すら損ねる嘘が多い。
要するに、低脳すぎて善悪の区別すらないのだ。

若者は、平気で己の命と同じように他の命を粗末に扱い、
年寄りは、平和不戦を同義に考え、大きな勘違いしている。

世界史の中で、犠牲を伴わない平和は確立されたことはない。

資本家は労働者を軽視し、正当に処遇しない企業があるかと思えば、
社会と労働に、価値を見出さないニートが生まれる国。 

政府の政策は、相変わらず大企業と強者の思惑にのみ傾き、
国民には監視を強め、事あれば増税にしかシフトできない思考。
民主主義において、国民は任命権を持つ存在であって、
国庫の打出の小槌ではない。

政治は、国益と国民本位に行うものであって、政権の奪い合いあらず。
数の論理だけがまかり通るだけの幼稚な民主主義は、正義ではない。
民主主義の正義とは、国益に適う小さな意見にも耳をかたむけ、
すべての国民に参加する自由と、正義を実行する機会を与えることだ。

数の論理と正義を区別せず、民主主義の意味を履き違えた者たちは、
戦後70年反省し続けても、未だに改善はできないらしい。

そうかと思えば、投票に行かない事をステイタスのように語る馬鹿もいる。
議会制民主主義すら理解できぬ、救いようのない恥知らずだ。

かつて、先人は勤勉実直を旨とし、死ぬことよを恐れ、誇り高く生きた。
日本の精神文化は海外から高く評価され、”恥の文化”とまでいわれた。 
そんな、恥を知る日本は、いつから恥を垂れ流すようになったのか…

“自由”とは、何をやっても良いという意味ではあり得ない。
自由のもとに自分さえ良ければと、誰もが身勝手な欲望を満たし、
自由という言葉をすり替えてしまったこの国の者たち。

自由とは、の下、一定の秩序の下に許されるもの。 
自由と平和は、ときには血と汗を流して勝ち取るものでもある。

権利自由という言葉を振りかざし、秩序を失った果てに得られるものは、
国の衰退と堕落と荒廃だけなのだ。

親は、我が子に勉強以上に教え諭すべき事はないのか?
メディアは、正義の物差しであるべきではないのか?
企業は、正当な労働が利益を生むのではないのか?
政治は、国益と民の幸福を優先するべきではないのか?
人は、権利と同時に役割の義務を負うのではないのか?

恥を死より恐れた崇高な精神文化を、未来に僅かでも活かし
せめて、窮屈にならない程度に守り続けたいと願う。
 







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Last updated  2015.12.03 16:20:57
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