神戸の記憶...
仕事の打ち上げで遅くまで 一緒に笑い合ってた仲間たち...ほろ酔いで部屋に辿り着き眠りに就くまでは すべてが身近にあったそんな自分の周囲に さっきまで存在した ごく当たり前の日常が1分足らずで 目の前から砕け散った光のない 暗い闇の中に放り出され色彩のない 夜明けに絶望したあのとき 現実とは思えず誰もが 自分に起きた出来事を直ぐにはのみ込めなかった...受け入れ難かった...だけど受け入れなければ 何もはじまらなかった今も耳に残る闇の中に聞こえる うめき声 泣き声助けを求める最期の声血の匂いと炎 埃まみれの髪 汚れた服 そして空っぽの心...灰色の瓦礫から16年町並みは 外観を取り戻したある人は 奇跡の復興だというだけど一変した暮らしの中で神戸の誰もが "失う"という言葉の本当の意味を知った震災犠牲者の80%が、建物の倒壊や家具の転倒による圧死だった。あの日、6,434人が命を失い、4万3,792人が負傷。未だに後遺症に苦しむ人も数多くいるという。被災した病院も少なくなく、救急スタッフの不足、負傷者の殺到、通信網や道路の寸断、行政の判断の遅れで、助かるべき多くの命が失われた。神戸の教訓は十分には生かされてはいない。民主党は、子育て支援や高校の授業料無償化を優先し、公立学校の耐震化予算を6割削減。全国の学校で震度6強の揺れで倒壊の危険がある施設が未だに20,000棟もあるそうだ。友愛という政治理念は、いったい誰を友とした、誰のための愛なのか...今...未来を語り、真の日本再生を目指すというなら、人気獲得の"ばら撒き"は根絶して、必要な人に、必要なところに、必要な支援ができる政治をするべきではないのか。それが政治家の政治家たる本分ではないのか。