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ないものねだり

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2015.12.22
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元禄十六年(1703)四月七日の早朝、大阪内本町の醤油問屋 平野屋勤務の徳兵衛と、
堂島の風俗嬢お初の二名が、曽根崎の堤で死亡しているのを巡回の警察官が発見。 
大阪府警では、曽根崎署に捜査本部を設け、心中事件と見て捜査を開始した。

府警本部の発表によると、徳兵衛(25才)は知人との金銭トラブルと江戸転勤に悩み、
遊郭天満屋の遊女お初(19才)の方は、田舎への身請け話が進められていたことから、
引き裂かれてしまうと悲観したのが動機と見て、関係者から事情を聴いている。

もし、曽根崎心中を現代に置き換えれば、こんな新聞記事になったであろう...

近松門左衛門の曽根崎心中とは、いったいどんな事件だったのか、
実際に起きた、心中事件を近松門左衛門の視点で、現代語訳で解説しよう。

DSCN4386.jpg

さて、この物語の舞台となったのは大坂の堂島新地界隈だ。
堂島新地の遊郭天満屋の遊女お初が、客に連れられて観音参りをしていた。
生玉神社の茶屋で休んでいるところへ、得意先を廻った徳兵衛が通りかかる。

こうして、若い二人は出逢い、恋に落ちるまで時間はかからなかった。

平野屋の主人九右衛門は徳兵衛の叔父で、働き者の甥っ子の将来を思い、
女房の姪を徳兵衛の妻にしようと、徳兵衛に縁組みを迫っていた。

徳兵衛の方は、何とか縁談を逃れ、お初を身請けしようと金の工面に奔走し、
お初に逢うこともままならない、もどかしい日が続いていた。

そんな折も折り、徳兵衛は友人の久平次に、一時の借金を頼まれてしまい、
やっとの思いで都合した金を久平次に貸したが、これが後に仇となった。

徳兵衛は、久平次の悪巧みで着服の罪人に仕立てられ、窮地に追い込まれる。
突然の縁談の上、さらに転勤話、こうして金と義理の板挟みとなって苦しみ、
真面目で真っ直ぐな徳兵衛は、次第に思い詰めてしまう。

DSCN9241.jpg

一方、お初の方でも、不意に降って湧いた身請け話に心を悩ませ、
また、恋しい徳兵衛にもここしばらく逢うことも適わず、一人で気を揉んでいた。

そして、ようやく逢えた徳兵衛に、お初は逢うやいなや責めて恨み言を吐くが、
逆に、徳兵衛のうち明け話に、お初ははじめて事のすべてを悟るのだった。 

さらに、遊郭にまで押しかけた久平次が、二人に追い討ちをかける。
金を踏み倒した上、今度は徳兵衛が、偽版を使ったなどと偽りを言いふらした。
お初は久平次を前に、打掛けの裾に徳兵衛を匿いつつ、心中を固く心に決める。

やがて、夜も更けて皆が寝静まった頃、天満屋を抜け出した二人は、
手に手をとって曽根崎の森へと向かう。

漆黒の暗闇の中、二人は足を取られては何度も転びながら、
それでも、手はしっかりお互いを握りしめ、森を抜けて行った。 
そして、ようやくに辿り着いた梅田の堤。

ちょうど、松と棕櫚(シュロ)が夫婦のように寄り添う根本までやって来ると、
二人は、ここを死出の旅路の場所と定めて頷いた。

雲も晴れ、蒼い月に照らされる中で、二人は名残を惜しむように互いを見つめ合う。
徳兵衛とお初は、涙を溢れさせながら、来世では夫婦にと誓って身を寄せ合い、
互いの腕を帯で一つに固く結んだ。

DSCN8698.jpg

「潔く死のう...」

そういいながら、七首(あいくち)を抜いた徳兵衛の手は震えていた。 

「嗚呼、もう夜が明ける...」

徳兵衛の目をじっと見つめながら、お初が切なくつぶやいた。
迷いを断ち切るように、覚悟したお初が絞り出した言葉だった。

冷たい早春の風に乗り、遠くで鳴りはじめた暁の鐘の音が、
二人の耳に届き、かすかな南無阿弥陀仏の読経も聞こえる。

「早う殺して 殺して...」

お初に促され、覚悟を決めた徳兵衛は、お初の着物の胸をさっと開いて、
匕首(あいくち)で一刺しし、血の滴る七首で自らの喉笛を一気に掻き切り、
熱い血をほとばしらせながら、お初の上に重なり絶命した。

こうして、二人の悲恋は心中によって幕を閉じた。 
ちょうど、東の空は少し明るみ、西に傾きかけた蒼い月が、
切なくも美しく、二人の骸を照らしていた...

徳兵衛と、お初の悲恋物語の舞台となった梅田から堂島周辺は、
今では大阪市の中心地となっている。

露と散る 涙は袖に 朽ちにけり 都のことを 思ひいづれば

菅原道真は、太宰府に流される途中で曽根崎に立ち寄り、この歌を詠んだ。
曽根崎には、歌に由来した露天神があるが、徳兵衛とお初の心中事件以降、
いつの頃からかお初天神と呼ばれるようになった。

曽根崎心中は、近松門左衛門の浄瑠璃の処女作で、
近松は、この事件をわずか一ヵ月後に"世話浄瑠璃"の題材として取り上げ、
元禄十六年(1703)五月、大坂竹本座で曽根崎心中が上演されるやいなや、
舞台は未曾有の大ヒットとなった。

あまりの人気に、一時は心中が流行して社会現象になったため、
享保八年(1723)、心中ものの出版や上演が幕府に禁じられる事態となる。


今日のblogは、悲恋話しなのでいつものようなボケようがない。
寂しいと思う方もいるだろうが、ま、こんな日もあるのだ。

その分、実は古典マニア向けにはお楽しみを用意した。
この話は、砂浮琴が少し物語をよりドラマチックに脚色して仕込んである。
それに気づいた人は、尊敬を込めてこれから”心中マエストロ”と呼ぼう。(笑)






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Last updated  2015.12.22 06:03:40
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