『がんナビ』 連載第5回
みなさまおはようございます。 『がんナビ』に掲載中の連載『患者団体アメリカ訪問記』の連載第5回がアップされました~♪ みなさま、ぜひぜひお読みくださいm(__)m Let's クリック♪クリック♪ 連載中止にならないためにも~~~(;^。^A よろしくお願い致しますm(__)m そうそう、ご質問なんかもあったら、どんどん書いてみてくださいね。♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪お知らせがん患者と家族の生活の質の向上を目指すサイト『がんナビ』(日経メディカル監修)に患者団体アメリカ訪問記-がん診療改革のヒントを探して-連載第5回『世界のがん研究をリードする米国がん研究所』が、掲載されております。みなさまどうぞお読みください。♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪ この日は、アメリカ到着の翌日でして、午前中がロンバルディ包括がんセンターのレクチャーおよび見学、午後はNCI(米国立がん研究所)見学(というよりはレクチャー)でした。 30分刻みで講師というか面会相手が変わり、駆け足で説明を聞きました。 通訳を介して、ですから、30分の時間にやり取りできる内容は、実際には10分~15分の内容となってしまい・・・。 でもこちらもいろいろ聞きたいことがあるし、向こうももっと説明したいことがあるし・・・。 当然のように、少しずつ押していって時間切れとなり、ロンバルディの病院内の見学は駆け足になりました(病院内は走っちゃイカンのだが~)。 NCIでは、炭疽菌(たんそきん)の事件以来、大変セキュリティが厳しくなったとかで、みんなで車を降りて空港のセキュリティチェックのようなものを受けました(金属探知機をくぐったり)。車もそういう探知機みたいなもので調べられていましたが、中までは調べていませんでした。 大雑把だな~と思ったのは、カバンの検査・・・。 車から降りるときにもって降りると、カバンも調べられるのですが、車の中においておくと、車ごと探知機にはかけられるけれど、カバンの中までは調べないのです・・・。 通訳の女性も、『こういうとこが、アメリカだな~と、思うのよ』と、苦笑していました。 (この女性は、私より一回りぐらいは年上で、ご主人がアメリカ人で、お嬢さんは結婚して日本で暮らしているそうです。お若く見えるんだけどお孫さんもいらっしゃるということでした。冷房が効きすぎのさむ~いNCIの中で、ひざ掛けを貸していただいたり、親切にしていただきました。彼女の通訳は、非常に的確で、正確で、また、限られた時間を有効に使うためにとても速く、私の性格にはベストマッチの通訳さんでした。) NCIでは、なんと、最初に面会したのは、NCIトップのニーダーフーバー氏でした。 日本でいうと、垣添総長・・・かしら・・・?(ちょっと違う・・(;^。^A ) NCIと国立がんセンターでは、規模も予算も違うし、病院は病院で、独立してありますから、病院なのか研究所なのか、はっきりしない日本の国立がんセンターと比較してしまったら、ちょっと国立がんセンターがかわいそうなんですが。日本では、NCIに匹敵する機関は、ないといったほうが正しいと思います。 NCIはさまざまながんに関する研究を行うところだから、病理の研究だけでなく、研究予算が有効に使われているかとか、個々の研究の効率化とか、がん登録などで集めた情報のリサーチとか、全米の新薬開発の手助けとか、とにかく、がんに関することすべてにかかわっている機関です。 NCIはNIH(国立衛生研究所)に17ある機関のうちのひとつで、規模・予算はNIH最大なのだそうです。 アメリカにおける、調査研究や公的健康支援プログラム(健康のための啓蒙活動など)の予算は、4月20日の日記『国民性の違い?日本が後手になる理由』でもご紹介しましたが、70億ドル(日本円約8400億円)ですから、桁違いですね。 それに、その予算がどのように使われたのかも、しっかり追跡調査がなされているようですから、日本のように、予算がついたらあとは帳尻あわせ・・・という世界とは、質が違うんですよね。 先日もチョロッと書きましたが、がん情報センターのためについたなけなしの予算15億円と40人の人員は、どこに消えてるのか、本体のほうにはほとんど付いていないようです。 こういう大事なことは、マスコミももっと追求して欲しいです。 私、行かれもしないセレブの高級レストランより、買えない一着ウン十万円の高級ブティックより、ずっと興味があります。(私って変わり者・・・?) 【以下、閑話・・・】 私はアメリカに行くと、現地時間の2時ごろから5時ごろまでが、『魔の時間』なのです・・・。 今回の訪米は、私にとっては3回目の北米大陸訪問だったのですが、とにかく、『魔の時間』が、心配でした・・・。 で、やっぱり~・・・・ 前日到着したばかりだったし、疲れてたし・・・時差ボケだし・・・。 (↑言い訳オンパレード) 睡魔との闘いとなってしまいました・・・m(__)m そのときのノートっていったら、字が・・・必死の努力は認められますが、それだけにペーソスあふれるメモになってしまいました。 開き直って、予備校のヒアリングディクテーションの試験のように、耳から入る英語で、理解できる単語はガンガン書きとめてみたりして・・・。(でも半分寝てるし・・・) ニーダーフーバーさんとの面会では、まだ『魔の時間』ではなかったから大丈夫だったかもしれませんが、そのあとのスケジュールは悲惨な状態でしたので、(面会・レクチャーが終わるごとに名刺交換したり握手したりしたのですが)そのときは素直に、「 I'm sorry.....I'm jet lag...」(←ごめんなさい、時差ぼけで・・・といってるつもり)と、謝っておきました。 すると大概は、『いつワシントンに来たの?』とか、『日本は今何時なの?』と聞かれますので、『昨夜の9時過ぎ・・・』とか『日本は真夜中(早朝の)の○時(時差13時間を足した時刻)』と答えますと、『それじゃ、しょうがないわ~気にしないで』とか、言ってくれました。 翌日もNCIだったのですが、その日も、午前中は絶好調(?)で、2時からは、つらかったです・・・。 だって~アメリカに行くまで飛行機で爆睡しようと思ってたんだけど~、同行の二人が、『アメリカに到着するのは夜だから、飛行機では寝ないで、ホテルで寝れば、時差ぼけにならない!』って言うもんだから~~~私もそのとおりだと思って~~~・・・ アメリカはテロ対策で入国審査にとっても時間がかかり、アトランタでの乗り継ぎでは、飛行機の出発まで1時間しかなかったので、思いっきり乗り遅れてしまいました。 おまけに荷物の乗り換えは、じつはもう済んでいたのに、空港の人が『あっちで荷物を受け取れ』なんて言うもんだから、そこでず~っと荷物が出てくるのを待ってたりして。 密着同行取材のH氏は英語がぺらぺらだったので、H氏がもっと偉い感じのスタッフに、『ここで荷物を受け取れって言われたのに、出てこないんだが』と、聞いてくれたら、『それのチェックインはもう済んでますよ』なんていわれてびっくりしたりとか!!(しっかりH氏は文句も言ってくれた) ワシントンの空港で、Baggage Claim に、荷物を取りに行ったら、もうとっくに到着していたという雰囲気で、私たちの荷物だけがちんまりと置き去りになっていました・・・ (取られなくて良かった~) そんなこんなで、やっとワシントンDCのホテルに到着したら、もう夜の9時だったのでした~~。 それからチェックインして、翌日以降のミーティングして、ご飯も食べて・・・・。 荷物を解いて、お風呂に入って・・・とやってたらとんでもない時間になっちゃってたのでした~~~。 でも、はっきりいって、このツアーでは、こんなの序の口・・・。 脳みそが溶けるくらいに、いろいろなことを詰め込み、あふれちゃった部分は、みんなでミーティングして補い合って・・・。という状態でしたから、のんびり夕食を食べた日なんて、2日ぐらいでしょうか。(交流ディナーのときも、おいしいお料理だったけど、必死で聞いたりしゃべったりしたから、ほとんど胃の中に入らなくなっちゃって・・・) かえってきたら、3~4キロ痩せてました~~~。 地方の議会の議員さんが『視察』といって公費で豪遊しているのと比べると、ホントにつつましくて勤勉だったわ!!(自画自賛・・・) なんか、この年になって、学生になったような気分で、節約一杯お勉強一杯の楽しい旅でした~~。