山本孝史議員 逝去
みなさまこんばんはすみません。ご無沙汰しています・・・もうご存知かと思いますが・・・・。民主党の山本孝史議員、逝去されました。58歳でした。私にとって、山本孝史議員は、特別の存在でした。国会議員ががんの患者になった、という、そういう事実を超えた、特別の存在でした。ロビィイングで議員会館を回った私にとって、ただの主婦の発言に耳を傾けてくれる、というだけで、ずいぶんありがたい、腰の低い事務所なのですが、それでも、ここまで分け隔てなく対等に扱ってくださる議員さんというのは、稀有の存在でした。山本孝史議員は、そういう稀有の議員さんでした。日本の国民が山本孝史議員のような人ばかりだったら、この国はとても素敵な国になるでしょう。山本孝史議員は、そういう人間性の方でした。私は、ただの主婦の身で、がん対策推進協議会の委員という立場になりました。正直、とてもしんどいです。今の私の立場は、なんというか、前線に立ってる兵士のような身分なのに、指令がないし、参謀もないような状態なんですよね。こんな状態では負け戦だし、講和条約に臨むにも、よい条件が引き出せるわけがないです。そんな状態でテーブルに着くことのしんどさは、なかなか周りに理解されないところですが・・・・。山本議員は、ご自身が患者であるだけに、そして、ご自身にそういうテーブルについたときの能力があるだけに、私にはいつも叱咤激励をくださいましたが・・・・。5月の参議院厚生労働委員会代表質問にたったあと、私にこうおっしゃいました。「SunChildさん、あんたの言ったことは、全部正しかったよ」そして、質問に立つことが決まってからその日まで、意味のある返答を大臣から引き出すために、非常に苦しんだことや、何を引き出すことが、今後、私のような人間の武器になるかということを本気で考え、迷ったことなどを伺いました。山本議員は、協議会で苦戦する私に、こうおっしゃいました。「SunChildさんが協議会で苦戦するのは、時間のない中で作った“がん対策基本法”の出来が悪かったせいだ。確かにあれは、筋が通ってないところがあるかもしれない。だから、患者代表委員が苦戦している部分もあると思う。あんな中途半端な法律だったら、無いほうが良かったかもしれない」そして、山本議員は、わたしに『あんなできの悪い法律を作ったせいで、苦労させてすまない』と、頭を下げたのです。私は、土下座したい心境でした。とんでもないです。私が苦戦してたとしても、それは、私の力が足りないからに過ぎません。でも、そういう山本議員の真摯な姿勢が、多くの人の心を動かしました。厚労省の担当者も、『山本議員をそこまで追い詰めたのは、自分たちのせいだ』と、本気で向き合ってくれました。出来上がった“がん対策推進基本計画”は、絵に描いたもちみたいな出来かもしれませんが、それでも、それ以前に描かれていた青写真と比べれば、白黒のひとふで書きとカラーの写真ぐらい違います。私は、山本議員の下さったひとことひと言を噛み締めて、これからも歩いていきます。いろいろな力が働いて、すぐに投げ出したくなりながらも・・・・・『あんたの言ってたことは、全部正しかったよ』と、おっしゃってくださった言葉は、私にとって、金メダルです。これさえあれば、私は、歩き続けることができます。そしてもうひとつの金メダル・・・・・。『あんたはあまり賢くなりすぎなくていい』この言葉の意味を噛み締めながら、これからも歩いていきます。