世界遺産
玉造の露天風呂にて・・・東京から来たというご婦人と話をしたら・・・・なんとそのご婦人は今年世界遺産に申請をするという石見銀山を見たくて来たというではないか!!!え~~~~~ 今日津和野からの長い道のりで確かにあったわ!!石見銀山!!!!たぶんガイドブックでも見たわ~~~~だが・・・・あ~~~~土肥金山のようなもんか~~~~軽くパスした石見銀山だった。ミーハーな二人は考えた・・・・明日朝早く宿を出ても行こう!!!!世界遺産になる前に行くのじゃ~~~~しかし・・・往復140キロ!!!!昨日通り過ごしたことを深く後悔する。石見銀山1526年に発見されて以来400年にわたって採掘された鉱山である。16世紀12316;17世紀の約100年の間には大量の銀が採掘され、大内氏、尼子氏、毛利氏といった戦国大名の軍資金や江戸幕府の財源として使われました。また、石見銀山が佐摩村にあったことから「ソーマ(Soma)銀」と呼ばれ、海外にも数多く輸出され、中国や朝鮮半島などのアジア諸国とポルトガルやスペインなどのヨーロッパ諸国を交易で結ぶ役割の一端を担いました。17世紀前半の石見銀の産出量は年間約1万貫(約38t)と推定され、世界の産出銀の約3分の1を占めていたといわれる日本銀のかなりの部分を産出していたと考えられています。銀を採取した坑道を間歩と呼ぶがこの間歩が600以上も確認されているという。山間にこんな感じで点在する。入れる間歩は龍源寺間歩だけ。。。。それもかなり狭い。。。。崩れる恐れがあるので大声を出さないでくださいと書いてある。世界遺産のなってたくさんの人が入ったら大変なことになるだろうな~~~~~こんなところを人間が通ったのか!!と思うえだ間歩が無数にある。山深い小路の看板国指定文化財反り橋 15枚の石を組み合わせて作った当時のままの橋壊れる~~~~~140キロかけて戻って大満足の石見銅山でした。こんなノスタルジックな町並みも残っていました。