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テーマ:『義経』(332)
カテゴリ:義経
ハジメさまのご質問の義経の母の常盤はあれからどうなったか?という事です。
常盤御前は、元京都九条院雑仕の娘であるが、源義朝の妾となった。今若丸、乙若丸、牛若丸(義経)のお母さんでもある。 源氏は、平治の乱に負けて散々になったが、牛若丸が鞍馬山を抜け出して東国へ走ったと聞き、常盤御前は乳母の千種を連れて牛若丸のあとを追ってこの地まできた。 そしてこの付近で土賊におそわれ殺されてしまった。それをあわれんだこの 地の人が、ここに葬り、墓を建てたと伝えられている。 他の説では、母親を殺した土賊六人を、牛若丸が皆殺しにして母のうらみを晴らしたという岩佐勝以の書いた、絵巻物もある。 貞享元年、関西を旅した芭蕉が、その帰途この地に立寄って、次の句を詠んだ。 義朝の心に似たり秋の風 一説には、常盤駿河守の墓と書いた古書もある。 (関が原町ホームページより) 常盤の墓は他にも群馬県前橋市にもいくつかあるようです。 いずれも、奥州に行く牛若を追って途中で亡くなったというものが多いようです。 原作の平家物語によると、義父にあたる長成は義経都落ちの頃なくなったらしい。 母常盤は長成の死後は邸にとどまるのも憚られ、 末娘を連れて家を出、あちこ転々と隠れていたらしいが、一条河崎の観音堂のそばで、 源氏方に生け捕られてしまいます。 ふたりは厳しい尋問を受け、義経の行方を明かすように迫られたが、常盤は以前から義経が自分と接触を禁じていたから、 どんなに尋ねられても真実、白状のしようもなかったに違いない。 後に常盤母子は解き放たれ、たぶん故郷大和国宇陀郡、龍門の伯父の家に身を寄せ、ひっそりとその波瀾の生涯を閉じたのではなかろうか。 (宮尾本平家物語4巻より) 常盤について書き記されたものは少なく伝説や推理でしかないんですよね~。 実は義経についてもとても少ないんですよ!! これらのお墓というのも、多々ありすぎるし、本当かどうかは疑問です。 奥州というと、当時は都から遠い僻地のように思われていたんです。そんな所に女が旅ができるかというのも疑問です。(江戸時代のように宿場の旅籠があるわけではなく、旅というと泊まる所も確保して、食物や炊事道具も持参しないといけないんです) とても、都暮らしの女の人が行けるものではないような気がします。 それに、大蔵卿はどうなるんですか~~?大蔵卿との子供も男子と女子がいるし、とても考えられないです。(あくまで私の個人的意見です~(^.^)) 大蔵卿のもとでは大切にされて、幸せだったんじゃないかな? ただ、運命に翻弄されたという所で悲劇のヒロインのように言われてますが、相手は身分のある大物ばかりです。 お金持ちなら幸せかというと、それも分からない所ですね~。本当の所は常盤に聞いてみないと分からないですね!! 女の幸せは一体ドコにあるのでしょうか~~? お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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