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テーマ:『義経』(332)
カテゴリ:義経
先週はあまりにも忙しく、とうとう義経の日記を書かずに終わってしまいました。
今週も早く書かないと危ない!! ということで、2週分まとめて書くことに致します。 先週、源頼政が宇治で討たれてしまいました。悲しいですね~。 しか~~し!もう少し合戦の様子を描いて欲しかったと思うのです。あれじゃ~あまり詳しくない人にはわかりにくいですね! あまりにもあっけなさすぎます!!しかし、頼政の「本望にござる!」という台詞は胸がキューんとなりました。 最初、以仁王と頼政は平家の追っ手を逃れて園城寺に入ります。そして、延暦寺と興福寺の援軍を待っていましたが、延暦寺は清盛のワイロによって心変わりし、興福寺は返事がない状態でした。 そんな中、園城寺では平家を支えきれないとみて、興福寺へ逃れようとする途中の宇治の平等院鳳凰堂で頼政親子は討たれてしまいます。 この時の宇治川の橋合戦が面白いのです。 頼政は「橋の中央の橋桁を剥け!」と命じ、「橋を落とした方がいい」という息子の仲綱に「中央だけ数枚はがすのじゃ~~」と指示します。 そこに平家の大軍が押し寄せ、功名の逸った騎馬武者たちが、次々と剥がされた橋桁の間から河の流れに落ちていきました。 気づいた武者たちも、留まろうにも、次から次へと後続が押し寄せき、落ちるしかすべがなかったのです。 平家軍は橋桁伝いに進んできました。しかし、そこで待ち構えた僧兵たちに討たれてしまいそれ以上進むことっが出来なくなってしまいます。 このため平家軍は橋を渡れず両軍川を挟んで対峙したままになるのです。 いつまでもこのままでは埒が明かないと考えた平家軍は馬を組んで川を押し渡り、とうとう対岸に到着してしまうのです。 こうなれば多勢に無勢。頼政親子は以仁王を逃がし、宇治の地で最期を迎えるのでした。 以仁王も落ちる途中、矢に当たり亡くなってしまいました。 頼政と謀らなかったら平穏な人生を送れたのに…。忘れられた皇子としての最期は頼政親子よりも悲しいと思うのでした。 うぎゃ~頼政の最期を書いてるとこんなに長くなってしまいました。これでも、かなり簡潔にしたつもりなんですが。 長くなるけど良かったら読んで下さい! そうそう、今回の放送で頼朝と義経兄弟の感動の対面がありましたね。 しかし、しごくあっさりしたものでした。涙を流す事もなく、軽くあしらわれた感じがします。 本当に弟の義経かどうか疑ってるのがありありでしたね!この時代、自分の身分を証明するのはかなり難しいですよね。 しかし、最初疑っていた重臣たちや政子も、義経の人格や美しい姿にだんだん心を許すようになってきました。 政子が対面する場面なんてかなり面白かったです。政子は都風の男に弱いと見ました。 もしかしてこの後、頼朝が義経を討つのだって嫉妬が入ってるかもしれない…と思ってしまいました。(いろんな意味のね~笑) ドラマでは、この兄弟の対面の後、あの富士川の合戦があるのですが、これって私が知ってるのでは、 1180年10月20日が富士川の合戦で、その後21日に頼朝の陣を追ってきた義経と対面するはずなんですよ!! だから、義経は富士川の合戦に参加してないと思うのです。 他にも、説があるのかなぁ~。しかも、義経の初陣は義仲討伐なんですよ~。それまでは全く呼ばれなかったんですから! しかし、ドラマの義経主従は気持ちいいですね! あばら家に文句も言わず、楽しげに働く姿には思わず微笑んでしまいました。 あの堅そうな佐藤兄弟もいつの間にか溶け込んでるし。 彼らの結束はこれからの合戦にも生かされそうです! お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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