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テーマ:『義経』(332)
カテゴリ:義経
今回は清盛の死去ということで、一つの山でありました。
この頃の平家は、木曾義仲の挙兵や九州・四国が叛いたという情報が入り、宗盛を大将軍として東国北国の追討軍を出発しようとしていた所でした。 1181年1月23日のことです。 ところが出発しようとした矢先の27日清盛が突然病に倒れます。 清盛の病状については「平家物語」では次のように描写されています。 入道相国、病に倒れた日から水さえも喉を通らず、体の熱きこと火をたいたようです。 臥所の四五間のところに近づこうものなら暑さで耐え難いものでした。 うわごとで「熱い熱い」というばかりであった。これはただごとではないと見えました。 比叡山より千手井の水をくみ出し、石の浴槽にたたえて、それに入ってお冷やしになると、水はたちまち沸きあがって、湯になってしまうほどです。 もしや楽になるかも、筧に水を流してかけたところ、石や鉄が焼けたように水がはじかれてしまいます。 それらの水は炎となって殿中に満ちて、炎が渦巻いて上がっているのです。 スゴイですね~!熱があまり高いので冷やすために、冷水の浴槽に付け水を流し続けても、すぐに熱湯になってしまうというのですよ~!! これはかなりオーバーとしても、熱が高かったのは事実のようですね。 大河ドラマでは、氷の風を送ってましたね! そして、2月4日身もだえして苦しんで亡くなったのでした。享年64歳でした。 遺言は「われ保元・平治の乱よりこのかた朝敵を平らげ、太政大臣までのぼり栄花子孫まで及び、今生では何も思い残す事はない。 気がかりは、頼朝の首を見ていないことだ。死後の供養はいらぬ、頼朝の首を墓前に捧げることこそ供養と思え!」 と時子に言ったそうです。ドラマではこの言葉は時子の創作のように描かれてますが、「平家物語」にはっきり書いてあります。 原作の小説でも、時子がウソの遺言を発表するのでした。 さて、清盛が亡くなったあとの五足クンです。 ドラマでは西八条殿を清盛の遺言で燃やしてくれと頼まれた彼は実行し、火付けの罪で捕まってしまいます。 そして、斬られてしまうのですが、原作では、あの菩提樹の数珠を清盛の死後、お棺に入れてあげたいと福原まで取りに行くのです。 しかし、たどりついた福原では既に盗賊により荒らされて、数珠は何者かに奪い去られていました。 五足は今更手ぶらで帰っても、誰も信じてくれないと思い、悲観して、館の裏山で首を吊っているところを後日発見されるのでした。 ドラマでは、数珠は清盛が床についている間に取りに行ったってましたね~。 ちょっとがっかりでした。五足クンは献身的な看病をしたり、自分の危険も省みず遺言を忠実に守って放火したりと、 かなり清盛に尽くしたのに、最期の悲しい様子をもっと描いて欲しかったんですよ~。 数珠を持って逃走したと思われてたのに、実は裏山で…。けなげすぎ~~です!!(悲) もうちょっと、脚本考えてほしかったなぁ~。実在の人物ではないけれど、ドラマに物語性を出す為に登場させたのなら、もっとドラマチックに死なせてあげたかったです。何?荒らされた福原のセットの予算がないって??(笑) さて、次は木曾義仲が活躍するのでしょうか? 義経君は、しばらく出番がないですが、大きく動くので面白いかもしれませんね! それでは、また来週~~!! お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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