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小袖の歴史と趣味の部屋

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2005年07月10日
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テーマ:『義経』(332)
カテゴリ:義経
一の谷の合戦はどんな風に描かれるか、とても楽しみにしていました!

決戦は2月7日
平家の軍は10万と言われてますが実際は5万くらいではなかったかと言われています。
平家物語などは10万騎と書いてあるんですよ~~そんなに馬がいるわけないですよね!
しかし、平家が有利と言われていたのには、間違いないことのようです。

法皇お密書が平家に届き、平家と源氏の和議の密書が。
後白河法皇の作戦は、平家の気を緩ませ、源氏によって三種の神器を奪回する事だったのです。
それゆえ、平家は和議に応じる気満々で、士気は緩んでいたのです。

義経は播磨三草山へ、しかし平家の軍が待ち伏せ。
地元の猟師、鷲尾三郎が道案内をしました。そうそうもうすぐ一の谷の逆落としです~~!
ワクワク。。。

三草山に夜襲をかける。
民家を燃やして、大軍であるかのように見せかけるのですね。
ただ燃やすだけでなくて、ちゃんと住民を立ち退かせる所なんか、大河の義経クンらしいです。

義経はひよどり越から逆落としを試みます。
ともあれ、初めてのマジ戦闘シーンです!義経主従の馬はイッキに坂を下って・・・。
おお~~い!
ひよどり越えは屏風のようにそそり立った崖ですよ!
岩なんですよ~~!!松の木なんかもたくさん生えてるんです~~!
初めにザザザーと落ちていって、途中の岩で止まるんですよね。それを見てみんなが行ける!
と思いついてくるんですよ~~!
ドラマでは草原でした。。。そんなに急な場所でもなかったです。

まぁ~そんな所で撮影は当然無理ですよね。。。
ハリウッド映画並みの映像を期待した私がいけないんですよね(^_^;)

戦いは源氏軍の圧勝でした。
賞賛の嵐の義経一行。
しかし、またまた法皇の魔の手が忍び寄ってきそうです。


それにしても、今でも謎なのがひよどり越えの場所です。
今日の放送でも、一の谷の裏側の山が鵯越と言ってました。
でも、今鵯越と言われてる所は、須磨一の谷の裏の鉢伏山からは直線で8km、道をたどれば10kmも離れてるのです。
学生時代に神戸電鉄にひよどり越え駅というのがある事を知り、その場所が須磨とあまりにも離れているので、
ズーッとおかしいと思っていたのです。
それに、須磨の連山と鵯越までは、離れてるだけではなく、山として連なってないんです。
一度平地に降りて、また山になってるんです。
平家物語では「一の谷後山鵯越」、源平盛衰記では「一の谷の後、鵯越へぞ向かひける」、
吾妻鏡では「着有于一の谷後山、号(なずく)鵯越」となっています。
10kmも離れてるのに後ろはおかしいですね。

鵯越の先の崖は夢野と言う所で、ここで逆落としがあったのではないかといわれてるのが、夢野説です。
この夢野は今は住宅地になり、そんな崖があったとは考えにくいので、夢野説はあまりメジャーじゃないです。
でも、私はこちらの方が説得力があるように思えます。今の夢野はそんなに海から近くないけど、
当時はもう少し海岸線が北にあったのではないかと思われます。
それに、夢野には氷室神社に平教経、古明泉寺には平盛俊、妙法寺には平通盛が陣を張っていました。
義経はそこを狙ったのではないでしょうか?
関白藤原兼実の日記「玉葉」ではこの夢野の陣が一番先に落ちたと記してあります。
そして、義経が一の谷を落としたとも書いてあるんです。う~~んどっちが本当なんでしょうね!

鵯越の逆落としの場所は、今も諸説があり、疑問のままなのです!!

今回は蒲の兄者は影が薄かったですね。生田の森が激戦で大変だったんですけどね!
敦盛の悲しいお話も出てきませんでしたね~!



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最終更新日  2005年07月10日 21時56分15秒
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