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テーマ:『義経』(332)
カテゴリ:義経
一の谷の合戦はどんな風に描かれるか、とても楽しみにしていました!
決戦は2月7日 平家の軍は10万と言われてますが実際は5万くらいではなかったかと言われています。 平家物語などは10万騎と書いてあるんですよ~~そんなに馬がいるわけないですよね! しかし、平家が有利と言われていたのには、間違いないことのようです。 法皇お密書が平家に届き、平家と源氏の和議の密書が。 後白河法皇の作戦は、平家の気を緩ませ、源氏によって三種の神器を奪回する事だったのです。 それゆえ、平家は和議に応じる気満々で、士気は緩んでいたのです。 義経は播磨三草山へ、しかし平家の軍が待ち伏せ。 地元の猟師、鷲尾三郎が道案内をしました。そうそうもうすぐ一の谷の逆落としです~~! ワクワク。。。 三草山に夜襲をかける。 民家を燃やして、大軍であるかのように見せかけるのですね。 ただ燃やすだけでなくて、ちゃんと住民を立ち退かせる所なんか、大河の義経クンらしいです。 義経はひよどり越から逆落としを試みます。 ともあれ、初めてのマジ戦闘シーンです!義経主従の馬はイッキに坂を下って・・・。 おお~~い! ひよどり越えは屏風のようにそそり立った崖ですよ! 岩なんですよ~~!!松の木なんかもたくさん生えてるんです~~! 初めにザザザーと落ちていって、途中の岩で止まるんですよね。それを見てみんなが行ける! と思いついてくるんですよ~~! ドラマでは草原でした。。。そんなに急な場所でもなかったです。 まぁ~そんな所で撮影は当然無理ですよね。。。 ハリウッド映画並みの映像を期待した私がいけないんですよね(^_^;) 戦いは源氏軍の圧勝でした。 賞賛の嵐の義経一行。 しかし、またまた法皇の魔の手が忍び寄ってきそうです。 それにしても、今でも謎なのがひよどり越えの場所です。 今日の放送でも、一の谷の裏側の山が鵯越と言ってました。 でも、今鵯越と言われてる所は、須磨一の谷の裏の鉢伏山からは直線で8km、道をたどれば10kmも離れてるのです。 学生時代に神戸電鉄にひよどり越え駅というのがある事を知り、その場所が須磨とあまりにも離れているので、 ズーッとおかしいと思っていたのです。 それに、須磨の連山と鵯越までは、離れてるだけではなく、山として連なってないんです。 一度平地に降りて、また山になってるんです。 平家物語では「一の谷後山鵯越」、源平盛衰記では「一の谷の後、鵯越へぞ向かひける」、 吾妻鏡では「着有于一の谷後山、号(なずく)鵯越」となっています。 10kmも離れてるのに後ろはおかしいですね。 鵯越の先の崖は夢野と言う所で、ここで逆落としがあったのではないかといわれてるのが、夢野説です。 この夢野は今は住宅地になり、そんな崖があったとは考えにくいので、夢野説はあまりメジャーじゃないです。 でも、私はこちらの方が説得力があるように思えます。今の夢野はそんなに海から近くないけど、 当時はもう少し海岸線が北にあったのではないかと思われます。 それに、夢野には氷室神社に平教経、古明泉寺には平盛俊、妙法寺には平通盛が陣を張っていました。 義経はそこを狙ったのではないでしょうか? 関白藤原兼実の日記「玉葉」ではこの夢野の陣が一番先に落ちたと記してあります。 そして、義経が一の谷を落としたとも書いてあるんです。う~~んどっちが本当なんでしょうね! 鵯越の逆落としの場所は、今も諸説があり、疑問のままなのです!! 今回は蒲の兄者は影が薄かったですね。生田の森が激戦で大変だったんですけどね! 敦盛の悲しいお話も出てきませんでしたね~! よかったらクリックお願いします~(*^_^*)人気blogランキングへ お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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