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テーマ:『義経』(332)
カテゴリ:義経
一の谷、屋島ち奇襲により勝利を収め、壇ノ浦にて遂に平家を滅ぼした義経ですが、
そんな勝利に酔うのもつかの間、鎌倉では大江広元や梶原景時の書状などの義経をよく思わない者の讒言で、 彼の立場は危ういものになっていきます。 先週、建礼門院を訪れたことが早速問題に…。 頼朝以下の鎌倉は義経の官位を勝手に受けた事や、救い出した神器を鎌倉に渡さず法皇に返してしまった事に 腹を立てているのですが「義経は書状などではなく、会って話しをすれば兄は分かって下さる」と 何とか鎌倉まで行こうとします。 そこで、障害となるのが「鎌倉の許可をなしに官位を受けたものは墨俣川より東に足を踏み入れることはならぬ」という下知でした。 義経はその名簿の中に自分の名前がなかった事を希望に、法皇の下知により平家の捕虜を護送する名目で 鎌倉へと旅立つのでした。 え~っと、鎌倉殿がお怒りな事がもう一つあるんです。 それは、義経が平時忠(領子の旦那で「平家にあらずんば人にあらず」って言った人) と領子の娘・為姫を側室として娶ってしまうからなんです。 これも鎌倉の了解を取らずに勝手にやってしまって、頼朝の勘気に触れるのです。 平家一門の娘とこの時期婚姻をするという事がどうゆう事が分からないなんて、ちょっと…ですね! でも、ドラマの義経クンは静一筋なので、そんなことはいたしません(^^) だから余計、鎌倉の怒りが視聴者には分からないのかもしれませんね。 これくらいのことなら、平家を滅ぼしたことに比べれば、そんなに目くじらたてることではないですよ。 実際、義経はテレビで出るよりもっと頼朝を怒らせることをやってるんですよ~~! しかし、法皇や平知康に分かる謎かけがどうして義経や弁慶には分からないんでしょうかね~~?? 側近の中にも誰か分かるものは居なかったんですか~?? 途中、相模・酒匂川付近で平重衡を南都興福寺へ送る途中の一行に出会い、宗盛、清宗親子は重盛と涙の再会を果たし、 母時子の最期などを語り合うのでした。 腰越まで来た義経一行は北条時政により、腰越に留まり宗盛親子は時政に引き渡すよう言われます。 あと一歩のところで、鎌倉には入れないことを悲しみます。 ココでですね~。 義経の郎党たちは「我ら法皇さまの仰せで鎌倉まで参ったのじゃ~」「お上にたてつくつもりか!」 なんて台詞と吐くのです ……。鎌倉殿は何にたいしてお怒りなのでしょうね~? 自分より、法皇を優先することに危惧を抱いてるんですよね。 もしかして、義経はまだ分かってなかったのかなぁ~? 会って話したとしても、溝が埋まるのかは疑問なのでした!! あっ、忘れてたけど、また行家おじが登場ですね!あの人懲りないですね~! また義経に拒否られてましたが、あそこまで徹底するとスゴイと思うのは私だけでしょうか~? よかったらクリックお願いします!!歴史blogランキングへ お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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