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カテゴリ:日本史
伝通院本堂(11月3日撮影) ☆今日の天気: ☆今日の活動:10時頃起床→朝食、PC閲覧、ネット将棋など→14時頃~散歩→15:30~17:30頃喫茶店→18時頃~20:20レストラン→20時半頃帰宅 ☆今日の日本史:~天保の改革、化政文化 こんばんは。今日は文化の日でお仕事はお休みでした。私の場合は、週末と違って特にやらなくてはならないノルマがなかったのでフリーな一日となりました。 こういう時こそ、あれを進めておこうと考えました。・・・そうです、日本史の学習です。 12月4日の日本史検定に向けて学習を始めて早くも1ヶ月が経過しました。 しかし、じっくりやっていたということもありましたが、正直遊ぶ時間を多く取りすぎていたため、これまでのところあまり学習が進んでいませんでした。。(今、江戸時代。教科書で言えばやっと半分が過ぎたあたり。。) 今日のようにフリーな日は学習を進める絶好のチャンスだと考え、いつものように喫茶店とレストランに行って日本史の勉強をやっていたのでした。 さて、その前にぜひ行ってみたいところがありました。徳川家の菩提寺の一つで、家康の母「於大の方(おだいのかた)」をはじめ、2代将軍秀忠の娘の「千姫」や3代将軍家光の正室の「孝子」らが眠っているお寺、伝通院(でんづういん)です。 実はこの伝通院、私が住んでいるところからは割りと近く、歩いて行ける距離にあるのですが、今までこのお寺の内部にまで入ったことがなかったのでした。 そこで、この徳川家と縁の深いお寺を訪ね、あわよくば写真も撮りたいなと考えたのでした。 ところで、上の写真は今回撮ったものを早速アップしたものです。他にも、上記の3人のお墓の写真なども撮ってみたのですが、結構大きくて私の携帯カメラではなかなか上手く撮れませんでした。。 それらの写真については、今後少しずつ公開させていただくかもしれません(苦笑) さて、伝通院を出たあとは、そのまま本郷三丁目まで歩き、本郷三丁目駅に近い喫茶店に入って日本史の勉強をしていました。 内容としては、ちょうど享保の改革から天保の改革までのあたりです。 だんだんと商品経済が浸透してきて、大名を凌ぐほどの富裕な商人が多く出てきた反面、貧富の差が激しくなり、武士や農民など米を基盤として生活していた層の人々は生活に苦しみ、また幕府や諸大名も次第に財政難に苦しむようになってきた時代です。 そこで、幕府はこの財政難をなんとか立て直そうとこれらの改革に乗り出すのでした。 ちょうど現在の日本の状況にも似ていますよね?! 結論から言うと、徳川吉宗が実施した享保の改革だけは一時的に効果はあったようですが、どの改革も、急激に風紀を引き締めたり農民からの租税の率を引き上げたりしたため、農民や町人の反発を招き、いずれも結果的には失敗しています。 これらの失敗は、急激な改革は政治的手法として上策ではない、と言う教訓を残しているのではないでしょうか。 ところで、享保の改革と寛政の改革の間に政治を行った老中で、近年かなりの注目を集めている人物がいます。 その人物は・・・田沼意次です。 かつては、田沼と言えば「賄賂政治」という悪い評判が主流だったようですね。 しかし近年、彼の評価は大分変わってきているようなのです。 すなわち彼は、富を蓄えた商人の資本を利用して財政を再建しようとしたり、長崎貿易で蝦夷産の俵物などの輸出を増やして貿易の黒字化を目指したり、蝦夷地の開発やロシアとの貿易を計画したりなど、かなり積極的な施策を行っています。 つまり、「お金がないのならば積極的に稼げばいいではないか」というポジティブな発想ですね。実はかなり「頭のいい」人物だったのではないか、と言われているのです。 ・・・大分話が二転三転してしまった感もありますが、今日はこの辺で終わりにしたいと思います。 それでは次回もまた宜しくお願いいたします お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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