カテゴリ:とき
ゴールデンウイーク後半に長崎に行きました。
よく晴れた日でした。 長崎の平和公園で被爆者の方にお会いしました。11歳で被爆されたそうです。81歳。お元気でした。「死んだ人がいちばん辛かったでしょう」とおっしゃられていました。 2.26事件を起こした人が、死刑になる人数を聞いたとき、「多すぎたなあ」とつぶやいた、というエピソードがあります。 多過ぎたなあ、の数には、太平洋戦争で失われたすべての命は入っていたのでしょうか。 サイパンが落ちなければ沖縄戦はなく、沖縄が落ちなければ原爆投下はなかったのでは。 サイパンが落ちるまでは戦争は南方で起こっているもので、兵隊さんが生死をかけているもので、ひとりひとりのわたくしが日本国内で命をかけているものではなかったのでは。 戦争が、ひとりひとりの頭の上に爆弾を吊るすものだと気がついたのが遅すぎたのが、あの戦争だったのか。 2.26事件の目的が武力ではない方法で果たされたなら、太平洋戦争はもう少し早く終わっていたのでしょうか。 歴史は繰り返す。けれど歴史の円はうずまきのイメージです。少しずつ外に広がって、ゆるやかに曲がる。いったん揺れると振り落とされる命は多いから、慎重に、慎重に、ゆっくり回っていきましょう。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2014年05月10日 09時15分10秒
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