高く遠く空へ歌ううた
小路幸也 講談社ハートビートがおもしろかったので、ほかの本も読んでみようと思って、「高く遠く空へ歌ううた」この人は、「音」というものに思い入れがある人なんだと思う。届いていくもの、超えていくもの、つながる手段、聞かれなくてもそこにあるもの、ここにいるよというしるし。去年秋に読んだ「そこへ届くのは僕たちの声」、それからデビュー作は「空を見上げる古い歌を口ずさむ」うん、確かに音には魔力があるから。泉鏡花の草迷宮にもあるとおり、視覚はまばたきによってさえぎられることもあるけれど、まばたきの間もつねに開けっぴろげなのは耳。聞こえない音が聞こえる。もうひとつの世界の存在は、耳が一番、よく知っている。小学生たちが中心の、とてもやさしい話でした。ヤングアダルト文庫とかに収録された方があっていると思う。まだ今から歩くことを始められる、そんな希望が空に響くから。小路幸也の話は基本的にきれいごとで生きようとする子たちがたくさんでてきて、その子たちがみんな、きれいごとでもなんでも、そんな自分が嫌いじゃないからこれでいいんだって、どこかで開き直って地に足をつけているところが気持ちいいです。ぐれちゃったりするのはプライドが許さないっていうか。ふつうに頭がいい子たち。いい子だから、あんまり周りは心配なんかしないけど、自分で自分に落とし前つけていくのは、これでけっこう、大変なんだよ。って、笑う子。なんべんでも、笑う子。そんな子たちが出てきます。この本の語り手ギーガンは感情を表す術をなくしてしまった子だけれど、表現できないだけで、感情はあるし。傍から見てたらけっこう不幸な子でもあるけれど、それでもやさしい、いい子だし。「お前のその顔は鏡だよ。その顔を見た奴はいろんな自分の中のある顔を見ちまうんだよな。だから」「おまえの顔を見て、優しくする奴より冷たくする奴より、笑う奴を信用しろ」そんな顔をした、ギーガン少年と友達の話。いつかまた、虹がかかればいいね。そこで歌を歌えば、あの人に、また聞こえるかもしれないね。ところで、この話には前作があるみたい。「空を見上げる古い歌を口ずさむ」とリンクしている部分があるみたいだから、さがしてみなくちゃ、です。こうやってさかのぼって本を探していくの、けっこ、好き。北村薫の「円紫さんと私」のシリーズもしょっぱな読んだのは「秋の花」でそれからさかのぼっていったのだ。読みたいときに、読みたい本と出会えてよかった。そこから縁がつながっていく。