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カテゴリ:岡山県
古くから神の山として崇敬されている吉備中山の北東麓に鎮座し、吉備津神社と同じく大吉備津彦命を祀る神社。「朝日の宮」とも称される。本殿は県指定重要文化財に指定されている。
御祭神は大吉備津日子命(オオキビツヒコノミコト)。厄除け、五穀豊穣、武運長久、延命長寿の御利益があると言われている。相殿に吉備津彦命(キビツヒコノミコト)、孝霊天皇、孝元天皇、彦刺肩別命(ヒコサシカタワケノミコト)など大吉備津日子命の子孫や兄弟、金山彦大神(カナヤマヒコノオオカミ)、大山咋大神(オオヤマクイノオオカミ)が祀られている。 吉備中山の北西麓に位置する吉備津神社と同じく、温羅と呼ばれる鬼神を退治し、吉備国を平定・統治した大吉備津日子命を主祭神としており、吉備国を治めた屋敷跡に社殿が建てられたのが当社の始まりと言われている。843年(承知10年)には一品爵位を贈られ、一品宮、一品吉備津彦大明神とも呼ばれ、吉備国が分割された後は備前国一宮として崇敬された。江戸時代に入ると岡山藩主池田氏から篤い信仰を受け、1677年(延宝5年)に300石の社領を寄進、1697年(元禄10年)に社殿が再建された。1930年(昭和5年)に不慮の火災で随神門と本殿以外が全て焼失し、1936年(昭和11年)に社殿が再建され現在に至る。 年間を通して様々な祭事が行われているが、中でも毎年8月2日、3日に行われる御田植祭が有名で、岡山県指定重要無形文化財に指定されている。 正面参道の石鳥居。 鶴島神社。神池の北側に浮かぶ鶴島にある。御祭神は住吉神(底筒男命(ソコツツオノミコト)、中筒男命(ナカツツオノミコト)、表筒男命(ウワツツオノミコト)、神功皇后)。 亀島神社。神池の南側に浮かぶ亀島にある。御祭神は市寸島比売命(イチキシマヒメノミコト)。 随神門。1697年(元禄10年)に備前岡山藩2代目藩主で、後楽園を造営したことでも知られる池田綱政公が造営したもの。 安政の大石燈籠。高さは11mあり、笠石は8畳の広さを持つ、日本一大きな石灯籠。1830年(文政13年)から1857年(安政4年)に渡って寄付が寄せられ、1859年(安政6年)に天下泰平、国家安全を祈願して建立された。 御神木の平安杉。樹齢は1000年以上。1930年(昭和5年)に火災が起こった時に火にあぶられ、老朽化が進み倒木が懸念されていたが、多額の寄付が集まり、2004年(平成16年)に治療が行われた。 拝殿・祭文殿。社殿は夏至の日に正面鳥居から日が差し込み、祭文殿の鏡に当たる造りになっている。そのため、「朝日の宮」と呼ばれている。 本殿、渡殿。県指定重要文化財に指定されている。檜皮葺の流造で、現在の本殿は1668年(寛文8年)に備前岡山藩主の池田光政公が造営に着手、1697年(元禄10年)に完成したもの。 稲荷神社。御祭神は倉稲魂命(ウガノミタマノミコト)。五穀豊穣、商売繁盛の神として知られる。 卜方神社。備前岡山藩主の祖である池田伸輝公と池田輝政公の霊神を祀る。 祖霊社、牛馬神社、十柱神社、温羅神社。温羅神社は大吉備津日子命が退治した、温羅の和魂を祀る。 7つの末社。伊勢宮、幸神社、矢喰神社など。 天満宮。御祭神は菅原道真公。901年(延喜元年)に道真公が大宰府に赴く途中に当社に寄られたという由縁があり、学問の神として境内に天満神社が建立された。社殿の老朽化により1909年(明治42年)以降は末社に合祀されていたが、2005年(平成17年)に現在の場所に再建された。 子安神社。御祭神は伊邪那岐命(イザナギノミコト)、伊邪那美命(イザナミノミコト)、木花佐久夜姫命(コノハナサクヤヒメノミコト)、玉依姫命(タマヨリヒメノミコト)。縁結び、子授け、安産、育児、家庭円満の神として信仰されている。慶長年間に備前岡山藩の池田利隆公が子宝に恵まれなかった際、ここで祈願後に光政公が誕生したという逸話が残っている。 ↓ランキング参加中。この記事が良いと思った方はクリックしてね にほんブログ村 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2023.05.13 20:25:45
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