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2023.12.16
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カテゴリ:宮崎県
延岡市の市街地中心に位置する、宮崎県を代表する近世城郭。別名は「縣城」または「亀井城」。続日本100名城に選定されている。

豊臣秀吉の命により延岡に赴任した高橋元種が1601年(慶長6年)に築城を始め、1603年(慶長8年)に完成。五ヶ瀬川、大瀬川を外堀とし、その中洲にそびえる小山に本城を築いている。本丸、二ノ丸、三ノ丸の構成で、天守閣はない。本丸と二ノ丸の間には高さ19mの通称「千人殺し」と呼ばれる巨大な石垣がある。延岡藩(縣藩)初代藩主となった高橋元種は1614年(慶長19年)に改易されてしまい、その後は有馬氏が3代70年続き、三浦氏、牧野氏と続いた後、幕末まで内藤氏が120年以上にわたり藩主を務めた。1870年(明治3年)に廃城となった。

現在は城跡が城山公園として整備されている。園内には300本のがあり花見の名所としても有名で、花見の時期には夜間にライトアップがされている。また、ヤブツバキが108種3300本が自生しており、日本三大ヤブツバキ群の一つに数えられている。




城山公園入口。延岡城の歴代城主が記された碑がある。


仲田又次郎翁像。初代延岡市長で、後に9代目延岡市長に就任し戦後復興事業、教育施設整備、上水道施工などに尽力した仲田又次郎氏の胸像。


石御門跡。かつて城の裏門があったところで、2019年(令和元年)に発掘調査が行われた際に門の礎石や岩盤を削って構築した階段が見つかっている。


三ノ丸跡。天守台の北側に位置する曲輪。


三階櫓跡。天守閣を持たない延岡城で一番大きな建物だった、三階櫓があった場所三階櫓は1655年(明暦元年)に当時の有馬氏の手により完成し、高さは土台下から約15.6mあったという。1683年(天和3年)に焼失し、その後も再建されることなく、現在は櫓台の石垣だけが当時の姿のまま残っている。


三階櫓跡にある、後藤雄吉顕彰碑。近代日本で初めて一等操縦士と一等飛行士の資格を取り、1924年(大正13年)に日本初となる世界一周旅行に成功した、延岡市出身の飛行士後藤雄吉の栄誉を称えて建立された顕彰碑。






天守台。一説では天守閣があった場所と推定されるが、実際に存在していたかどうかは不明。城内で一番の高台になっている場所で、延岡の街並みが一望できるようになっている。


鐘撞堂。かつては太鼓櫓があった場所だが、1877年(明治10年)に西南の役で焼失。翌年に今山八幡宮に寄進された梵鐘が移設され、鐘楼が設置され時報の鐘が撞かれるようになり、現在も鐘守の手によって続けられている。現在の鐘は二代目のもの。あくまで時報を知らせるための鐘であるため、来園者が勝手に撞くことは禁止されている。


本丸。広々としたところで春になると沢山の桜が咲き、花見の客で賑わう。


内藤政挙公像。延岡藩最後の藩主であり、明治維新後は教育に尽力した他、延岡の発展に努めた内藤政挙公の像。




二階門(櫓門)跡。二階部分が櫓、下部が開閉式の門になっていた二階門が設置されていた場所。敵兵を迎え討つ役割を持ち、門の大きさは南北約6m、東西約17mあったといい、城内で2番目に大きな建物だったという。


二階櫓跡。延岡城の西方を守る位置にあたり、二層二階構造の二階櫓があった場所。二階櫓は廃城令が出て取り壊されるまで残っていた、数少ない建物だったという。




千人殺しの石垣。法長約22m、高さ約19mの巨大な石垣で、九州でも屈指の規模を誇り、宮崎県内で唯一の高石垣。一番下の根石を外すと、石垣全体が一気に崩れ、1000人の敵兵を殲滅すると言われていることから「千人殺しの石垣」という通称が付いた桜の時期になると夜間にライトアップもしくは壮大なプロジェクションマッピングが行われ、夜桜と共に幻想的な光景を作り出す。


二ノ丸広場。城内で最大の広さがある場所で、主要な曲輪であったとされる。1951年(昭和26年)にこの地に遊園地が開園し、公園や動物園があり、1988年(昭和63年)に閉園するまで市民の憩いの場になっていた。ちなみに訪れた時は10月にここで行われる「のべおか天下一薪能」の準備がされていた。


井戸跡。縦横1m、深さ1.5mほどの大きさの井戸が2つあった場所。








牧水歌碑広場。宮崎県出身の歌人、若山牧水の歌碑が3つ並んでいる。左の歌碑(2枚目の写真)には牧水が晩年に詠んだ歌である"なつかしき 城山の鐘鳴りいでぬ をさなかりし日聞きしごとくに"が刻まれている。毎年3月になるとここで牧水歌碑祭が開催される。




北大手門。城の表門にあたる。門幅5.4m、高さ7.2mで、瓦葺の四脚門。元々は周辺の石垣だけが残っている状態だったが、1992年(平成4年)に延岡城の絵図や発掘調査を元に門が復元された。周辺は沢山の桜の木があり、門前にはしだれ桜も見られる。また、門の側には延岡藩主だった内藤家の墓所がある。




北大手門東側石垣。石面には沢山の刻印が残っており、その刻印が大坂城の一部で見られる刻印に類似点が多いことから、大坂城築城に関わった技術者が石垣の構築を行った可能性があるとされている。



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最終更新日  2023.12.16 21:00:07
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