宮崎県日向市 『大御神社』
太平洋沿いに鎮座する、天照皇大御神を御祭神とし「日向のお伊勢さま」と呼ばれ親しまれている神社。社殿(本殿、幣殿、拝殿)は国登録有形文化財に登録されている。御祭神は天照皇大御神(アマテラスオオミカミ)。皇祖神として広く知られ、縁結びや大願成就の御利益がある。また、2015年(平成27年)と2019年(令和元年)にラグビー日本代表が合宿の際に当社に必勝を祈願し、歴史的勝利を納めたため、必勝祈願の御利益があるとして注目されている。創建の年月は不明。当社に伝わる「神明記」によれば、瓊々杵尊(ニニギノミコト)が高千穂に降臨された時、瓊瓊杵尊はこの地を御巡幸され、千畳敷の盤石にて大海を展望され、天照大御神をお祭りし平安を祈念されたという。後にこの地に社殿が建立され、天照大御神を勧請し村の鎮守として崇敬したのが始まりと言われる。神社の名前は、天照大御神の"大御"を頂いて名付けたと伝えられている。また、神武天皇が東征されるときに伊勢ケ浜から港に入られ、当社に武運長久と航海安全を祈願されたとも伝えられる。その後は日向に存在した日知屋城の歴代城主や延岡城主、代官らに崇敬され、今日は地元住民から「日向のお伊勢さま」と呼ばれ親しまれ、全国からも参拝者が訪れている。毎年10月22日に例大祭宵祭り、10月23日に例大祭御神幸祭が行われ、年内で最も盛大な祭りとなっている。特に例大祭宵祭りでは県内外から多くの人が訪れ、神事、巫女舞、神楽、さらに名物の天翔獅子が奉納されている。鳥居。日向のお伊勢さまと呼ばれることにちなみ、鳥居も神明鳥居になっている。授与所。社殿。拝殿・幣殿・本殿の構造。1936年(昭和11年)に建立されたもので、木造の神明造りの銅板葺。国登録有形文化財に登録されている。海沿いに広がる柱状節理群。社殿背後に切り立つ柱状節理。約1500年前に起きた海底火山の活動により火砕流が蓄積し、長い年月をかけて冷え固まったもの。さざれ石(神座)。国歌「君が代」にも歌われているさざれ石で、海岸沿いには柱状節理群の他にさざれ石群も見られる。写真はそのさざれ石群の中でも一番大きな石で、周囲30m、高さが4mある。瓊瓊杵尊がこの石の上に立ち、大海を展望されたという伝えが残ることから、神座とも呼ばれている。龍神の霊(玉)。さざれ石のすぐそばにある。水の入ったすり鉢のような窪みに、丸い形をした石が沈んでいる。この周辺はおよそ5000年前の人が龍神信仰をしていた古代遺跡だと言われており、これは岩を渦状に刻んで龍を表し、生命の源である龍玉(丸い石)を納め、それに山水を注いだものだそう。当時の人々はこの龍神様に日々の安寧を祈ってたんだとか。三代の亀(親、子、孫)。海岸沿いの柱状節理が海に削られ、長寿の象徴ともいえる亀のような形になっている。社殿の土台となっている柱状節理が親の亀を表し、その近くを子、孫と続くように亀の形をした岩が並んでいる。高台から見た社殿。鵜戸神社。大御神社の境内社。御祭神は鸕鶿草葺不合命(ウガヤフキアヘズノミコト)、彦火瓊々杵命(ヒコホノニニギノミコト)、彦火々出見命(ヒコホホデミノミコト)、豊玉姫命(トヨタマヒメノミコト)、塩筒々大神(シオツツノオオカミ)。古くより「鵜戸さま」と慕われ、安産、航海安全、交通安全、厄難消除、事業繁栄の御霊験がある。鳥居がある場所から階段を下ると岩窟があり、そこに鵜戸神社が鎮座している。かつて縄文時代の人々が龍神信仰をしていたとされる岩窟で、先にある祠のある場所から振り向いてみると、その理由が分かる。岩窟の前にある砂浜。岩窟の中にある祠。白龍の昇天。祠のある場所からそのまま後ろを振り向いてみると、まるで白龍が天に昇っているかのような光景が浮かび上がる。岩窟は人工的に作られたものだそうで、龍神信仰がされていた痕跡だと考えられている。↓ランキング参加中。この記事が良いと思った方はクリックしてねにほんブログ村